
京都を歩こう 7 等持院
何年かまえの夏の終わり、秋が始まるころですかね

等持院に来ました。ここも学生時代以来です。
暦応四年(西暦1341年)、足利尊氏が天龍寺開山夢窓国師を開山にお迎えして、衣笠山の南麓に創建したのが、この等持院である。
後に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地にあった等持寺もこちらに移され、足利将軍家歴代の菩提所となった。
応仁の乱などの戦乱や火災に見舞われたが、豊太閤(豊臣秀吉)も、秀頼に建て直させたほど、この寺を重んじられたのである。
その後も移り変わりはあるが、等持院には、足利15代、230余年の歴史を語るだけの貴重な文化財が、今なお充分に保存されている。
暦応四年(西暦1341年)、足利尊氏が天龍寺開山夢窓国師を開山にお迎えして、衣笠山の南麓に創建したのが、この等持院である。
後に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地にあった等持寺もこちらに移され、足利将軍家歴代の菩提所となった。
応仁の乱などの戦乱や火災に見舞われたが、豊太閤(豊臣秀吉)も、秀頼に建て直させたほど、この寺を重んじられたのである。
その後も移り変わりはあるが、等持院には、足利15代、230余年の歴史を語るだけの貴重な文化財が、今なお充分に保存されている。



前に来たときは学生時代で当時この枯山水の庭を前にして進路に悩んでいた時期だったのを思い出しましたね。残暑のきつい時期で、なんでこんな暑い時に来てしまったんだろうと思ったりもしたんですが、その暑さがまたこの庭の情景を私の心に深く刻んでいるような気がします。
今思えばまさかあれから数年後にかわいい息子たちに恵まれるとは思ってもみなかったです(´∀`)

元天竜寺派管長の関牧翁筆による達磨絵だそうです。インパクト大ですね。

部分的に新しくなっていました足利将軍家の木像が並べられている霊光殿、木造の手前にガラスがはられるようになっていましたね。

背景に衣笠山がある庭なのですが、今は某大学が見えます。

青々とした草木が美しい庭で、まだ桔梗も咲いていました。


方丈の縁側でしばらくゆっくりしてました。ここのお庭は京都の数ある寺のなかでも個人的に気に入ってますね(´∀`)

昔は青々とした草木が生い茂る庭が好きでしたが、年々石で流線形を表現するというシンプルな枯山水をだんだんと美しく思うようになりました。
この日等持院を去るときもやはりこの枯山水が心残りな感じがしたままだったと思います。また季節を変えてきたいなと思った寺でした。
つづく