
私と和歌山の旅 5 アメリカ村
さて、白崎海洋公園を後にして向かったのは和歌山県の三尾漁港付近にあるカナダ移民のまち、アメリカ村です٩( 'ω' )و!

あとアメリカ村というと大阪のミナミにある界隈のイメージがあり、あそこはあそこで、私個人はそんなにアメリカを感じないのですが、こちらはこちらで謎というか、このときもたいして調べずGoogle mapsだけで適度に探しあてて来たのです。
とりあえず、

この記念館らしき場所に入ってみます。

記念館に入って1番はじめに通された部屋、軽く軽食ができる場所のようです。



こちらの説明文を読んでいてようやく、なんとなくこの三尾漁港付近の人々がカナダに移民するようになったのかがわかってきました。
先駆者となった人が現れて、1889年より三尾からカナダ・スティーブストンへの集団的な移民
が始まったらしく、特に顕著なものとしては三尾村は、1894年に日ノ御崎沖合で起こった岸和田漁民との漁場争いに敗れ、漁業に大打撃を受けたことが移民を増やすことに繋がったとされていますね。またこの日ノ御崎沖合はこの後に行く岬のある場所です。
日系カナダ移民の映画では、
こちらの『バンクーバーの朝日』などが知られていますね。私も見ましたが、ストーリー展開がゆっくりで面白みは少ないのですが、その分わざとらしさがなく、リアルで映像が美しい映画でした。
また第二次大戦の時代に至っては連合国側の国に移民した日系人は収容所に入れられ、財産の没収などもあったそうです。

映画『バンクーバーの朝日』でもこの辺りは描かれていました。多くの日系人がカナダで漁業で生計を立てていたようですね。

カナダ国政府が当時日本人に対して行ったことを認め、再びこのようなことは繰り返さないということを全カナダ日系人協会との間に取り決めた合議文書のようです。公用語である英語とフランス語で併記されています。

多くの日系移民はカナダの生活スタイルを含めた様々なものを持ち帰り、中には比較的裕福な生活を送った家庭もあったそうです。
ミュージアムの方に聞いてみてもそれらカナダ移民人々の痕跡は今は僅かにしか残っていないらしく、このミュージアムも僅かに一件残っているだけだそうです。

こういう生活感を帯びた、さりげないミュージアムもいいですね(´∀`)
集落のバス停付近に来てみると、

人々が忘れないようにと記念碑が建ててありました。いろいろな思いが詰まっているのかもしれません。
さて、日も傾くころ紀伊半島最西端の地にある、

紀伊日ノ御埼灯台に訪れてみました。

残念ながら私の好きな上れる灯台ではないんですが、


また岬の高台から見渡す紀伊水道に沈む夕日は素晴らしいものでした。
灯台があるだけで他には何もないのですが、それでも一見の価値はあるなと思っています。
この日は、
美浜町煙樹海岸キャンプ場に来ました。まだコロナが本格的に流行る手前だったと思われます。まだまだ家族連れで賑わっていましたね。


この日は焚き火をして身体を温めてからテントで眠りにつきました。
つづく