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私と和歌山の旅 2 紀伊大島(回想)

 さて、キャンプで一泊した後は次の目的地、紀伊大島に向かいます。

 紀伊大島はもともと離島だったのですが、1999年に潮岬から苗我島を経て紀伊大島に至るくしもと大橋で繋がれ、今は橋で渡れます٩( 'ω' )و

 キャンプ道具をある程度片付けてから、

 橋を渡ります!
螺旋状になってるくしもと大橋を上り、
エルトゥールル通りに来ました!
目的地

 今回来たかったのは、紀伊大島の東端に位置するこの一帯です!

 紀伊大島がどんな感じかというと、

潮岬の半島の東側に位置する島です。

とりあえず私は岬の端まで行きたくなる性格らしく、まずは歩きます。

アタテュルク像

 さて、こここになぜ、トルコ建国の父、アタテュルク像が立っているかというと、

 1890年(明治23年)9月の半ばににオスマン帝国の軍艦、エルトゥールル号がこの和歌山県の串本町にある紀伊大島の樫野崎付近で座礁、遭難し、500名以上の犠牲者を出した事件があり、エルトゥールル号の海難があった場所だからです。

日本の海難史上初の大規模な外国船の海難事故であると言われています。2015年には映画にもなりましたね。

樫野埼灯台

 この灯台は海難で知られるこの地に明治のはじめに建てられたようです。海難事故があったときにはすでにあったみたいですね。

水仙と樫野埼灯台

 この樫野埼は水仙が本州のなかでも1番最初に咲く場所でこのときは2世月のはじめに来ましたが、もう終わりかけてました。

咲き誇る水仙

 ではその海難を巡って育まれた日本とトルコの友好を記念して建てられたというトルコ記念館に向かいます٩( 'ω' )و

トルコ記念館
エルトゥールル号の模型

 造船された後しばらく使われておらず、老朽化しはじめていたときに日本までの航海に使われたと言われていますね。そのことも海難事故の一因のようです。

串本町から神戸に移された生存者たち

 587名の将兵が殉職、生存者は救助された人も含め69名だったそうです(T ^ T)

記念館2階の展望台から見える海難のあった現場

 この場所は古くから難所として知られていたようですね。

近年の潜水考古学により発見されたバックルやボタン

 2000年以降は潜水考古学の分野が発展し、ここ潮岬でも調査が行われたそうです。

 このエルトゥールル号の海難事故はトルコでは教科書に載るくらい有名だそうですね。私もここに来る前に子供に絵本を買ったので知ってはいましたが、やっぱり実際に来るとまた違いますね。

椿と太平洋

 特に私たちが紀伊半島に来た日は暖かな風が吹く海の穏やかな日でしたから、荒れたらどうかなんて想像しにくかったです。

 つづく

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