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【雑記】逃げたい自分と丸の内サディスティック

すSpotifyで音楽を聴くのですがランダムで流れてくる中にある
 丸の内サディスティック by椎名林檎
多分聞いたことある人のほうが多いはず。
というか自分が遅すぎる…

東京の夜感が感じられる。
どこかキラキラとした東京の空気とそこから一線画した夜の中から明るいウインドウを覗いているような虚しさと哀愁感を感じる曲ですね(語彙力)

東京は冷たい街だとか色々聞きますが、
まぁ、当然ながらそこにいる人の感覚なんだろうなぁと思いますよね。
人は諦めることができず
くすぶっていればいるほどその希望が悪になる
パンドラの箱に希望を残しているのもよく議論の対象になりますね。

ゼウスが箱に最悪、災厄を全て詰め込んでパンドラに渡す。それを好奇心から開けてしまうパンドラ。
気づいて慌てて箱を閉めるも既に後の祭り
ただその中に希望がのこってるわけです。
対策に忍ばせておいた希望様が…
これでどんな最悪にも希望を持って生きていけるわけです。

さて…思うんですが
なんで希望は箱の中に入れられなければならなかったんでしょうか?
いや、わかりますよ。
お話だから…とか
それは災厄に立ち向かうためだから
とか
でも希望が必要なときって別に病気とかだけじゃなくないですか?
人間関係の不和だって改善ができる希望があるから頑張ったりするわけじゃいですか。
災厄がなければ、戦争がなければ希望っていらないものなんでしょうか。
希望って
今はだめでも頑張って改善するっていう事象を信じる
っていうどうしても時間軸が必須になる感情
だと思うんですよね。
ゼウスなんて面白全知全能不老不死(しかも書き換えOKのプロフィール)なんでもう時間の概念なんてないと思うんですよ。
それが希望なんて概念認識しますかね?

話がそれましたね。
まぁ要するに希望なんて将来とかを信じて生きる人たちの感情であって
時間がなくなりつつあり
体力がなくなりつつあり
感情をすり減らして生きると
希望にベットできる時間という掛け金が減っていくので東京というショーウィンドウにある希望に手を出すことができなくなるんですよね。

地域とか育った街だとまだ地元への所属感があるから保てるんでしょうけど。
やはり東京という土地で
届かない希望を見続けるものはつらいものです。
冷たいですねぇ。

今回のオチ、
というわけで希望は劇薬です。
ただ、無意識のうちに諦めている自分がいて、それが世界から色を失わせているんだなと
反省したっていう話です。

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