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謝らんかい!

“よい謝罪”って? ベストセラー作家が考えたノウハウとは

水野敬也(ベストセラー「夢をかなえるゾウ」の作者)が考えた“よい謝罪”について16日放送があった。20分で濃密な番組だと思う。(そもそも、どの番組も密度が低い。伸び切ったラーメンのような番組が多いが、NHKも例外ではない)

テレビで企業の幹部が深々と頭を下げて、いわゆる謝罪会見をしている場面をよく見る。日本語のわからない外国人の中には、なにかセレモニーでもしているのかと思う人もいるそうだ。

不法滞在が発覚して強制送還される外国人が窓から顔を出して「いつも謝ってばかりいる日本人なんて大嫌いだ~~」と捨て台詞を吐いているのを見たことがあり、苦笑を禁じ得なかった。日本人は謝ることに抵抗はないどころか、謝ってばかりいると思われているようだ。
戦中の責任について、マレーシアのマハティールは「日本人はいつまで謝るつもりだ」と言ったくらいだ。

野球の死球でも、高校野球では死球を当てた投手は帽子を取って頭を下げて謝罪するが、面白いことに翌年プロに入った途端にこれらの行動は取らなくなる。「急に偉くなったんかい!」と突っ込みたくなるが、ことはMLBでも同じで、投手は謝らない。謝ると「故意に当てた」と誤解されるとも聞くが、それよりもわざとやったわけじゃないからさっさと試合を進めようという意識が働くのだそうだ。
互いがそのように了解しているのであれば何も問題はない。

アメリカやカナダでは交通事故を起こしても“I’m sorry.”とは言わない。渡航間もない日本人は先輩からそのように注意される。
“I’m sorry.”と言ったら自分が悪いと認めたことになるから絶対に言ってはいけないと。
知り合いのイギリス人女性が、引いていたベビーカーから手を離してしまい、運悪く坂道をベビーカーが転がっていってお年寄りにぶつかったことがある。件の英国女性は黙ったまま一言も発しなかった。

国家間のことになれば、ますますそうはいかない。

ベトナム戦争中のブレーン(ベスト・アンド・ブライテスト)の一人だったロバート・マクナマラ(国防長官)が、戦争終結後ベトナムを訪問したことがあったが、一言の謝罪もなかった。ベトナムへの軍事介入とベトナム戦争を主導・推進した張本人が知らぬ顔を決め込んだのである。
謝罪したら、戦争賠償責任を問われることを知っていたからだろう。

作家の村上春樹がこう言っている。
「相手国が『すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」というまで謝るしかないんじゃないかな」

具体的な国名は言っていないが中国や朝鮮半島のことは明確だ。
相手は「もういいです」などとは決して言わない。「水に流そう」とか、「忘れましょう」とかは外交上はありえないのであって、こういう考えは相手に付け込まれるだけだ。

岩井俊二に至っては、そもそも、歴史認識どころか事実認識に欠陥がある。
「国(日本政府)があの島(尖閣諸島)を買うことがどれだけ挑発的か考えるべきだ」
どれだけ日本、台湾等々に挑発的なことを行ってきているのか。
「侵略された国(中国)がまだ怒っていても当然」
我が国は元に侵略されたことがある。それが原因で鎌倉幕府は転覆した。
あの当時は海外に植民地を求めることは国力のある国ならば当然のことだった。現在の視点で過去を見てはいけない問いうことすら分かっていない。

韓国は「我が国はかつて海外に覇を求めたことはない」と言ったが、それはそうするだけの国力がなかっただけのことで、決して平和主義に基づいていた訳では無い。
中国は、モンゴル、チベット、ウイグル、ベトナムに侵攻した過去の事実を岩井はどう見るのだろうか。現在では南下政策を取り続けて、近隣諸国に脅威を与えている。
「(日本が)相手国(中国)ばかり責めたのでは相手だって怒り出すのが道理」
これはそっくりそのまま、中国に当てはまるだろう。300万人虐殺記念館は日本を理不尽に責めている象徴だろう。
愛国無罪という奇妙奇天烈なスローガンを掲げている。
「日本のメディアが中国のことを悪く言い過ぎており、祖国を悪く言われたらどんな気がするかを考えなければならない」
これも同様だ。官製反日デモは中国のお家芸ではないか。
「自国(日本)びいきの歴史解釈は受け入れがたい」
偏ってはいけないが、自虐的でもいけないだろう。

どこの国でも黒歴史はある。中国、韓国は自国贔屓にすぎるだろう。
このようなことに村上も岩井も考え至らないのだろうか。
謝罪要求はどんな事があっても終結しない。なぜならばそれは「外交カード」であるからだ。「外交カード」はたくさんあるに越したことはない。
繰り返すが、二人はこのような考えすら持ち得ないのだろうか。
 
個人間の諍いと謝罪、それに対して国家間の争いと落とし所には、大きな相違がある。
個人間には徳目を、国家間には強(したた)かさが必要なのである。それ故に、政治家に道徳・倫理を求めてはいけない。

私の会社では幹部が謝罪会見した時、それをみた子供に「パパどうして謝っているの?」ときかれたママは「パパは偉いから、テレビに出てみんなの代わりに謝っているのよ」と誇らしげに言ったとか。

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