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カーリング(Curling)はつまらん

カーリングはつまらない。結論は、タイトルどうりである。
 
例えばサッカー、嫌いとはいわないが好きではないスポーツではあるが、11メンバーの交代はあるのに、カーリングは(ほぼ)ない。経済用語を使えば、カーリングは「流動性」が乏しいのである。つまり、変化に乏しい、つまらない。(なにやらトートロジー<同語反復>ではあるが)
 
野球で言えばノーアウト満塁のとき、守備側の投手が不調ならば交代するし、攻撃側が凡打が多い打者ならば、絶好調選手に替えることも可能である。
観客としては、そういう監督采配も楽しみというか醍醐味である。
 
しかし、カーリングはそうではない。
 
カーリングに変化を求めようとするならば、チーム数を増やすしかないし、実際そのような動きがある。その場合、チームごとに割り当てられるスポンサー料は低減する。
 
しかし、カーリングはアイドルの余技でもない(はずである)
 
なぜ、投球(カーリングならば投石か?)後、その選手をメディアは長いこと映像を流す?投石後に必要なのは、石がどのように動くか、それをブラシを持った選手がいかにコントルールするかが、カーリングの魅力ではないのか。しかし、カメラは美人を追い続ける。
 
誰だってブ◯よりも美人(本橋麻里や藤沢五月)が好きだ。私だってそうだ。しかし、カーリングはスポーツである。
美醜は問題にならないはずだ。なのに、勝敗を決するには影響力はないものの、メディアは美人のスポーツ、それをみて鼻の下を長くしてるおじさんのスポーツだと思っているのだが。。。

注:スポーツの語源は「気晴らし」である。


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