見出し画像

”ええこ“だった頃の夏休み

小学生の頃、夏休みが始まる前に宿題のほとんどを゙渡された2、3日後にはほぼ済ませてしまっていた

普段からものすごく仲が良いというのではなく、何となく夏休みの宿題を一緒にする友だちがいた

一見活発、よく知る人には冗談を言ったりふざけたりするのに、みんなの前では恥ずかしがりだったり、融通が利かないほど真面目な部分があったり、と少し性質が似ているからか、仲良くなり特にその時ばかりはと、いつもどちらからともなく誘い合わせ、放課後図書室に籠もって宿題に取り組んだ

見せあいっこや教え合うというよりはお互いに見張り合うようなどちらが早く終わるか競い合うような感じで過ごしていた

その友だちは夏休みのほとんどをお母さんの実家で過ごし、私は別のことに夢中になっていた

毎年”貼り絵“に熱中していたのだった

姉と外で遊んだりひとりで延々縄跳びをしたりピアノを弾いたりもしたが、”貼り絵“は毎日『何分やるのだ』と自分で決めて取り組んだ

題材となる絵を家にある絵本や本、図鑑のお気に入りの場面を広げて並べ選ぶ

決まったら自分の思う背景の色の画用紙と、作業しやすい小さいサイズの折り紙を買いに行く

そっくりになるように下絵を描き、描きあげたらお待ちかねの作業の開始だ

先に細かく切り刻んだり、手でちぎっておいたり、色々な方法でやっていたように思うが今でも覚えているやり方は糊を少しつけた小さな折り紙をつま楊枝の頭(尖っていない方)を押し付けてゴマ粒大ほどに切り出して貼ったり、切り出した破片をピンセットでつまんで糊を塗って貼っていくというやり方で、細かいニュアンスが出せるのでちまちましていて時間がかかるがこのやり方を気に入っていた

ある程度作業が進むと糊で手がニチャニチャになるのでその度に手を洗ってはまたせっせと続ける

毎年夏休みの自由課題はこのようにして制作していた

“こまったさん”や“わかったさん”シリーズの表紙や挿絵、姉の持っていた“おちゃめなふたご”シリーズや“アルジャーノンに花束を”の挿絵の台車からお花が飛び出したような絵など、だんだん色とりどりのものを選ぶようになり、やりがいを見出していたように思う

作業の割に地味な提出作品で自由課題キットなどで作られた立派な建物・歴史的建造物の模型や、電池・豆電球をあしらった本格的な工作の作品には見劣りしたと思うが、意に介さず飽きもせず毎年やっていた

とにかく好きだから、それだけの理由で

教科の宿題も毎日こんな感じで少しずつやった方が実となり力となっただろうなとは思うけれどやりたい事を小言を言われずやるために、つまらない宿題は先に済ませていたんだと思う

今はやるべきことも後回しにしがちだけれども

姉は正反対で学校が始まる前日にお天気の記録を母が取っておいた新聞や小学校が被っていた何年間は私のを丸写しし、新学期宿題をやらないまま平気で学校に行き注意され、その事がバレて母にヤイヤイ言われながらやり、自由課題は私が代わりに描いた絵などを平然と提出していた

近所の同級生のお母さんも玄関先で宿題やお天気を必死で丸写していたが、本人はどこ吹く風な事に大いに驚かされたものだった

やるべき事だと判断して必死でやっても、やらなくてもその後の人生に大きな差などないことも気が付かないフリをしているけれど、本当はうっすら気がついてしまっている

やるもやらないも自分次第だし、おそらく姉は手伝ってとは言っていないし近所の同級生も写させてもらってきてとは頼んでいないだろう

手伝った母や私、丸写しの母親は、本人のためではなく”自分“のためにやったようなものだ

全ては“自分”の納得のため

そんな”ええこ“の夏休みも小学生までで、中学生以降は自由課題や読書感想文、音楽の宿題─楽器や音楽家を絵とともに紹介する新聞を作成する─なんかの好きな課題はあっという間に済ませたり、はたまた時間をかけて丁寧にやっていたが、部活動を終えるとどこかへぶらり出かけたり走りに行ったり、音楽を聴きながら漫画や本を読むばかりで教科の宿題はのらりくらりとやっていた

このくらいなら大丈夫

このペースなら何とか間に合う

この教科の最初の授業は次の週だから

仕組みや正味の事がわかってくるとどんどん横着になっちゃうこの感じ〜

まぁでも、ちゃんとわかっているなら横着も悪いことばかりでもない

あの頃のような”ええこ“になって一生懸命好きな事をやる時もあれば、それ以外の出来てない部分は出来る時にやれば良いしやりたくないなら横へ置いておいても大丈夫

やれば出来る!








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?