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『三宅雪嶺人生訓』二一
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/933730/1/22
〇思ふには燈を仮らず(その二)
(承前)グラッドストーンは夜半議院より徒歩にて帰り、若(も)し雨天なれば馬車にて帰宅し、更に雨具を整へて闇夜に歩行せり。此類の事は挙げて計へ難し。紅燈緑酒(こうとうりょくしゅ)に夜を深(ふ)かすも多けれど、一世に為すこと有るの士は、月星の光に親(したし)むの珍しからず、闇夜も必しも妨げず。
【現代語訳】
〇思ふには燈を仮らず(その二)
(承前)ウィリアム・グラッドストンは深夜、議院から徒歩で帰り、もし雨であれば馬車で帰宅し、さらに雨具をそろえて闇夜を歩いた。この類のことは枚挙に暇がない。(人は)花柳街のはなやかな明かりとうまい酒に夜をふかすことも多いが、一世一代の士は、月や星の明かりに親しむことも珍しくなく、闇夜も必ずしも妨げにならなかった。
【補説】
「紅燈緑酒」とは無縁な、雪嶺らしい健全な論である。
銀座で飲んでタクシーで帰るなど、愚の骨頂であろう。
(もっとも、近年は高級歓楽街も斜陽になりつつあるらしい。よい傾向である。)
月夜の散歩に妙案が浮かべば、美酒以上に愉しめる。