【11話】ゴジラ-1.0 のどこがおもしろかったか
久しぶりの映画。
前日飲み過ぎて二日酔いで1日を終えたくなかったから、朝から新宿の映画館に向かう。
前情報何も無し
庵野のシン・ゴジラが面白かったので
今回は、どう調理されるんだろうか?
とりあえず大画面でゴジラみたいなー
くらいの軽い気持ち。
感想
・王道オモロい、完成度高っ
・シン・ゴジラ超えたかも
・ゴジラの迫力やば
・戦艦や戦闘機かっこよ
・空想科学研究所(本)
なんだろう。
ゴジラっていう幼稚そうというか
男の子しか寄せ付けないワードがタイトルに入っているが、綿密に作り込まれた王道ヒューマンドラマだった。実写において日本映画はハリウッドに勝てないと言われていたが、覆るかも。そんくらい全てのクオリティが高い。シリアル系の箱の裏側の六角形がデッカい感じ。
舞台は戦後、元兵士たちがゴジラを倒そうとするんだが。みんな戦争からの呪縛から解かれたはずなのに、自分の命を犠牲にしてまで任務を遂行しようとする。そこにいたるプロセスとして、いったんはもう命を粗末にして戦うのは嫌だとなるんだけど、一部のカッコ良い武士道的(新渡戸稲造)な精神の人らに流され戦闘に突入してゆく。カッコいい、いや熱狂に流される。いやいや、戦時中と同じやん。繰り返すやん。結果はどうであれ。そこに自分は少し無情を感じた。あの明治維新から第二次世界大戦の流れに生まれたとしても、何もできなかっただろうなと。今も日本の精神は本質的に変わらず、そこに美しいと思うんだろうなと。良くも悪くも。
このゴジラをみるまでは、庵野秀明のシン・ゴジラはゴジラ史上ナンバーワンだった。ゴジラが現代に攻めてきたら、政府はどう対応するんだろう?を東日本大震災の原発のメタファー。ゴジラ=原発。エヴァ臭も少しするが、異常なテンポで公人が話すシーンが切り替わる。正直何言ってるかわからんくらいなんやけども、あーこいつらダメだ「検討します」「遺憾です」系政治家たちだ。また、やってるわ。この先延ばしがとんでもない問題になるのに。って思うんだけども。今の日本の民主主義的ではあるが本質封建的は縦社会の問題点を描いており、そのテンプレートがわかれば面白い。斬新。でもわからなければ、意味がわからないし、おもしろくない。という意味で海外受け悪そう。でも新しいんだよな。
に対して、今回のゴジラ-1.0は、大空襲からやっとこさ立ち直った東京が舞台。平民たちが主人公。個人のトラウマをどう乗り越えるか。そしてそこにはヒロインへのLOVEがある。とてもわかりやすく感情移入しやすい。如何にも感動してくれという作品。ちと臭いセリフもある。登場人物の心境変化は王道。平民主体で描いてくれたからこそ、自分ならどうするか?って思える。これはゴジラが来たらではなく、小さな閉ざされた縦社会的組織に属しており、概念的ゴジラが来たらどう判断して行動できるかなという意味で。
この2作品共通して、再認識したことは戦前も、戦後も、現代も、本質的に日本は変われてないんだという諸行無常。違いは外部環境の変化。つまり、今後も環境が変われば日本は同じ過ちを犯す。現状認識ができないまま問題を先送りにし、問題が露呈してくればかっこいいを悪用した熱狂で包み込む。そこに歪んだ信念が形成される。人は自分の信念と相反する事実を突きつけられると、自分の過ちを認めるよりも、事実の解釈を変えてしまう。組織(国家)全体として正当な判断ができなくなる負のスパイラル。つまり認知的不協和というプリズム
誰が悪かったから、〇〇の陰謀という風に解釈するのは簡単ではあるが、物事はそんなシンプルではない。シンプル化して他責にするのは思考停止の証拠。同じ誤ちを繰り返すだけ。
と、少し熱く語ってしまったが、
自分の周りにも似たような現象が起きてないだろうか。間違ったこととわかっていても、あの先輩がいうなら、とか悪の組織だがあの人は良い人だからなど。すべてスケールが違うだけな気がする。