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FOLKER を好き勝手に振り返る

昨今の演劇は、全国各地を巡る旅公演や、爆発的な人気を誇る商業演劇、2.5次元ミュージカルなど、時代の移ろいと共に、様々に姿を変えている。
曲がりなりに演劇を専攻し、今も仕事の片手間に演劇研究に携わる身であるため、今回は少し気を引き締めて、極力まともに劇評を書こうと思う。

大阪の演劇は、人の心の柔らかい部分に土足で入ってくるのに、決して泥を残さない。
遠慮なく素手で触ってくるのに、決して爪を立てない。
想像を絶するカタルシスに包まれながら、観客は劇場を後にする。
演劇の街、大阪。
エネルギッシュで騒々しいのに、ふとした瞬間に吹く鯔背な風が、街を一層魅力的にする。
今回観劇したのは、大阪国際文化芸術プロジェクトと称して、大阪の土地と人が育んだ、大阪の誇る演劇文化を、大阪のど真ん中から発信する、大阪魂の詰まった公演である。
遊気舎で後藤ひろひとが作・演出した「FOLKER」が、満を持して25年ぶりの再演を果たした。
元宝塚星組トップスターの紅ゆずるを主演に迎え、実力と個性が光る役者・ダンサーたちが揃い踏み。
150分、休憩なしの上演だが、泣いて笑って手拍子をして、あっという間に終わってしまった。

まず、紅ゆずるの身長の高さ!手足の長さ!
客席が舞台よりも高い位置にあるため、常に見下ろす形であるが、それでもスタイルの良さが際立つ。
心を開く前の目つきの鋭さには、思わず鳥肌が立った。
光を一切宿さない、暗く冷たい目。
また、ストップモーションでの身体の使い方が、群を抜いて上手い。
序盤に玲を刺そうとするところなどは、特に。
左腕で強く捉えた玲の手首を自分の腹に当てがい、高く振り上げた右腕。
玲の体側に寄せて軽く曲げた左脚、地面に斜めに突き刺した右脚。
猫背でうな垂れた姿から、わずか一瞬で、あの殺意である。
恐ろしさを超えて、美しかった。

心のうちは、言葉にならない喪失感でいっぱいに違いないのに、松岡の言葉を思い出して、仲間を奮い立たせる。
孤独な彼女にとって、フォークダンスを通じて仲間ができたことは、人生で1番の喜びだったに違いない。
大切な仲間たちが悲しむ姿は見たくない。
自分まで泣いて、負けそうになってしまうから。
その一心で、「笑ってくださーい」と、声を絞り出したのだろう。

決勝で踊る彼女らの顔はどれも晴れやかで、幸福感すら滲んでいた。
そして空那は、絶命する間際まで笑っていた。
彼女にとって、死ぬこと自体は大した問題ではなく、それよりも、もうすぐ最愛の妹に会えるのが嬉しい、という顔をしていた。
復讐に手を染めて極刑を背負った姉が、自分の前に笑顔で現れたら、妹はきっと驚くだろうなぁと、二人が再会できた後のことまで、思いを巡らせてしまった。

松岡を演じた内場勝則の朗々とした声、キレのあるダンス。
アンサンブルのダンサーたちの躍動も、圧倒的。
オーディションの場面であれだけの人数が現れたとき、客席からは小さな驚きの声が漏れた。
FOLKER予選、各チームのダンスとそれを煽る観客の手拍子は、不思議な熱を孕みながら舞台と客席を一つにしていた。
踊り続ける舞台を見つめながら、噛み締めるように強く感じた。
これだから、演劇は面白い。演劇はやめられない、と。

印象的な台詞が二つ。
一つはもちろん、「笑ってくださーい」。
150分の中で何度も繰り返される台詞である。
笑えない時、泣きたい時にこそ、笑ってくださーい。
この観劇日以来、折に触れ、心の中で「笑ってくださーい」と自分に言い聞かせるようになった。
もう一つは、「空に向かって笑うとですね、星が降って来るような気がするんです」。
松岡のこの台詞は、ラストシーンの伏線になっている。
無数の星が、舞台に降ってくるのだ。
台詞と演出が繋がっていることを理解した時、感動するより先に、熱いものが込み上げた。

作品の生みの親である後藤ひろひとが、この作品を誰にも渡さず、自らの手元に温め続けてきた理由が、分かった気がした。
時代を経ても変わらない、普遍的な笑いと泣きを、バランスよく併せ持っている。
決してハッピーな終わり方ではないのに、帰途につく観客の顔は、どれも晴れやかで、満たされていた。
もちろん、私も、である。

人材、設備、経済的に恵まれた劇団が本気で作る作品も好きだが、今回のように仮設の客席と舞台で繰り広げられる人間くさいドラマも、また好きなのだ。
地方に根付き、土地の色を濃く含んだ演劇は、まっすぐな純度をもって、私たちの郷土愛をくすぐる。
絢爛で華々しい装飾は無くとも、人の心は十分に動かされる。
地元の演劇は、温故知新の精神で守っていきたいと思う。

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