next to normal を好き勝手に振り返る
久しぶりに、だいもんの歌声を浴びたくなって、行ってきた。
チケットを予約したのは年末だったが、なんとラスト1席。
注釈付きの補助席ではあったが、背に腹は替えられない!ということで、
およそ2年ぶりに、だいもんの歌声に溺れたのである。
注釈付きということで、舞台の上手側1/3ほどは手摺に重なって全く見えない。
おかげで、想像力をフルに働かせながらの観劇となった。
センシティブなストーリーではあるが、ひとりひとりが自らの未来を選び取って一歩を踏み出していくという、救いの見えるラスト。
普通と異常はいつも隣り合わせの関係にあり、知らぬ間に入れ替わっていたり、互いの間に溶け込んでいたりするものなのだと感じた。
ナタリーを演じた小向なる。
聡明が故に、母を重荷に感じてしまうが、そんな自分を嫌悪するような気配があった。
退院した母が、自分のことを忘れていると知った時の動揺。
これまで母親らしいことをほとんどしてくれなかった、挙句には存在を忘れられて、怒りというよりは寂しさが強いような印象を受けた。
本人の凛とした顔つきも相まって、等身大のティーンエイジャーの不安定さを見せてくれた。
甲斐翔真演じるゲイブは、ストーリーが展開するほどに、人の都合を考えずに自分のペースに巻き込もうとするわがままな青年だった。
幼くして死んだことを象徴しているのかもしれない。
2幕で赤いTシャツになってからの、彼の静かな豹変には恐ろしさすら覚えた。
また、彼の名前を劇中で唯一呼ぶのが、父親のダンであることには胸が熱くなった。
ダイアナだけでなく、ダンもまた、天使になった息子を今でも愛し、忘れることはできないのだ、と。
中河内雅貴演じるドクター・マッデンは、もう少しロッカーなところを見せてくれてもよかったなぁ〜という気持ち。
だいもんの間の取り方が上手いのも作用して、非常に面白かった。
そして今回の主役・ダイアナを演じた、望海風斗。
聴くたびに進化し続けるあの歌声は、冗談じゃなく世界を救うと思う。
高音から低音まで豊かに伸びる、豊かに耳に残る。
しかし、母親役のだいもんは初めて見たわけだが、あまりにもハマりすぎていて、こういうかっこいいお母さん、学校のPTAにいるよなぁと思った。
(当のダイアナはPTAを退会になっているが)
カーテンコールで「外はもう夜です。えっ、夜じゃないか。えっ、夜ですか。あ、夜だそうです。気をつけてお帰りくださ〜い」と、完全にあやこちゃんに戻っていた。
直前まで見ていたダイアナの激しい生き様は幻だったのか?と思うほどである。
ああ尊い。
ネクスト・トゥ・ノーマル。
日常の隣には非日常がある。
見える幸せ、見えない不幸。
自分の傍にいてくれる人のことを大切にする。
そんな当たり前を、今一度思い起こすきっかけになる観劇だった。