稼げる特許は、日本企業とは真逆な戦略だった
世界で最も稼いだ発明者は、アメリカの発明家ジェローム・レメルソン (Jerome Lemelson) だと思います。
レメルソンは、子供のころから発明が好きで、医者だったお父さんに頼まれて、医療器具の発明などをしていました。
彼は、数々の基本特許を取得して、そのライセンス収入で、何兆円といわれる巨万の富を、その後に得ることになります。
もちろん、その多くは、日本企業からです。
取り下げるのではなくて、すべて登録させる
レメルソンの特許戦略では、初期の段階で、マーケットの状況を見つつ、CIPの分割出願という、特殊な方法で、新しい技術を取り込んで行きます。
さらに、その一連の分割出願の親出願を取り下げるのではなくて、すべて登録していきます。
日本の出願人の多くは、分割してしまうと、元の親出願は取り下げしてしまう場合が多いのです。
これは、登録する際に支払う登録料が、割と高価なので、その費用を削減するためです。
しかし、レメルソンの特許戦略では、そのまま残して複数の権利を、どんどん網羅的に成立させていきます。
これは、どのように機能するかと言うと、コアの特許の周辺に、非常によく似た複数の権利が、網のようにできていくんですよね。
特許の対策をやった経験のある人であれば、わかると思うのですが、1件の権利範囲の広い特許しかない場合と、一つ一つは権利範囲は狭いが、周辺を網のように形成されている特許網では、後者の方が非抵触の反論が難しいのです。
お金を払いやすい権利化
一つの特許をやり過ごしても、すぐに他の特許もあるので、そのうちに対策できなくなります。
逆に言うと、権利範囲が広くとも、1件の特許しかない場合は、割と簡単に特許の対策は、できちゃうんですよね。
この点を、大企業でも日本の人は知らない場合が多いので、オーバーラップした権利の取り方は、ほとんどしていませんよね。
日本の特許法では、ダブルパテントと言って、このような権利の取り方は、一般的にはできないでのですが、アメリカでは一定条件下で可能なんです。
そもそも、日本の場合は、それぞれの設計部ごとにノルマを課して、発明を出させて出願していくので、全くバラバラな権利が、点在する形で、その会社のポートフォリオが作られてしまうんですね。
もちろん、日本の場合は、ダブルパテントで、権利範囲がオーバーラップしていると、拒絶されてしまいます。
つまり、日本の法律も、社内の知財業務も、彼とは真逆なアプローチになってしまうんですよね。
日本の会社の特許ポートフォリオの場合ですと、対策はカンタンで、その結果として、その会社の特許の価値も下がってしまいます。
「密」なポートフォリオ
レメルソンの代表的な特許である、米国特許3,081,379では、実に15件の特許が取得されています。
それぞれの特許が、関連していて、中には同じ内容でちょっと違うのみというような、「密」なポートフォリオになるんですよね。
このようなアプローチをされると、もうその特許を売り込まれた側は、お手上げですよね。
しかも、多数の特許がライセンスの対象になってしまうので、支払うライセンス料も高額化してしまいます。
よく考えられていますよね。
コスパも良い!
この戦略は、実は、コスパも良いのです。
レメルソンは、個人発明家なので、もちろん権利化している時期は、お金がないんですよね。
そのため、日本企業のように、大量の特許を出願することはできませんでした。
そのため、どうすれば、少ない資金で最大の効果を出せるか、考えてきたとみられる工夫が、随所に見受けられます。
日本企業が、今でも行っている総花的なノルマ方式の分散ポートフォリオでは、他社に売り込むことは、対策が簡単なため利益を生み出しません。
しかも、それぞれの特許の内容が、全く違う分散型なので、一から明細書を書かなければいかないのです。
その分、費用も1件ずつ同じくらい掛かってしまいます。
一方で、レメルソンのやり方では、新規な事項のみ明細書に追加して、それ以外の部分は、そのまま親出願の内容を流用できてしまいます。
このようなやり方では、出願コストは実際に1/3ほどで済んでしまいます。
実に15件の特許が取得されていますが、この内容は、最初の案件のみ仕上げてしまえば、実質1/3の5件分の費用で、15件もの権利が取れるのです。
特許をとることが目的か、マネタイズが目的か
日本の発明者は、特許をとることが最終目的であることが多く、その後のマネタイズは、それほど考えていないケースが見受けられます。
そのため、ノルマで幅広い部署の設計者や研究者に出願をしてもらうのです。
一方で、アメリカの発明者は特許を使ったマネタイズが目的なのです。
この違いは、国民性からくるものではなく、しっかりした目的設定と、その目的を実現するための過去の成功者の特許戦略を研究した成果ではないかと、最近は考えています。