【物語に見る信じ込み】心が叫びたがってるんだ。
『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない』の長井龍雪が監督して製作された2015年のオリジナルアニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』。アニメと言うファンタジー世界だからこそ、心の機微がより表現できるのを感じる映画です。同時に、信じ込みが創られ、それが性格の形成にどう関わっているかを見るのにも非常に分かりやすい内容となっています。
*ネタバレを含むので、実際の映画をご覧になってから読まれることをおすすめします。
ーあらすじー
幼い頃、何気なく発した言葉によって、家族がバラバラになってしまった少女・成瀬順。
そして突然現れた“玉子の妖精”に、二度と人を傷つけないようお喋りを封印され、言葉を発するとお腹が痛くなるという呪いをかけられる。それ以来トラウマを抱え、心も閉ざし、唯一のコミュニケーション手段は、携帯メールのみとなってしまった。
高校2年生になった順はある日、担任から「地域ふれあい交流会」の実行委員に任命される。一緒に任命されたのは、全く接点のない3人のクラスメイト。本音を言わない、やる気のない少年・坂上拓実、甲子園を期待されながらヒジの故障で挫折した元エース・田崎大樹、恋に悩むチアリーダー部の優等生・仁藤菜月。彼らもそれぞれ心に傷を持っていた。
おしゃべりという個性を奪われた順
小さい頃に、山の上にあるお城に憧れた成瀬順は、そこから出てくる父親を目撃し、そこがラブホテルであるということを知らずに母親にそれを話してしまいます。母親は、「それもう誰にもしゃべっちゃダメ」と言って話を終わらせ、この出来事が元で両親が離婚し、それを悔やんだ順はおしゃべりな性格が一転、全く喋らない性格になってしまいます。
父親が家を出ていく日、順は父に「全部お前のせいじゃないか」と言われます。何も身に覚えのない子どもにとって、これは大きな衝撃です。玉子の妖精に言葉を奪われるというシーンは、トラウマな出来事が元になって自分の本来性を自ら封印した瞬間を非常に分かりやすく描写しています。
玉子の妖精は、傷ついた自分を守るために創り出したストーリーですね。そういう設定を自ら作り出すことによって、「出て行ってしまった父親」という「自分の世界の半分」を失ったショックを和らげようとしているのです。
自分の見えている世界がまだ狭い幼少期の子どもにとって、それだけ両親の存在は絶対的で、非常に大きなウェイトを占める大切な存在であるということが分かります。
本音を言わない拓海との出会いと共通点
自分の内側に湧き上がってくるものをアウトプットする手段を失い、順は近所でも不気味がられる喋らない子になってしまいます。学校でも喋ったところを見た人がいないぐらい無口で、喋るとおなかが痛くなるという症状を抱えて生きています。
神経質な人によく見られることですが、これは本来性とは違うことをしていることで、心のブロックが身体のブロックとして物質現象化している様子を表しています。
ポイントは自分の内面(心)の痛み→身体の不調になるということです。つまり不調の方を何とかしようとしても、その本当の原因(心の痛み)を取り除かないと本質的に問題は解決しないということでもあります。
ふれあい交流会(ふれ交)の委員で一緒になった坂上拓海が歌を創作するのを見て、喋ることができない自分の思いを歌であれば表現できるんではないかと考えます。喋れないので、携帯でのメッセージを通して、順は拓海に自分のやりたいことを伝え始めます。
音楽教師でもある担任の提案で、ふれ交の出し物はミュージカルをやることになり、そのストーリーを順が考え、拓海がそれを曲にするというプロセスが始まります。
その中で、実は拓海の両親も離婚していて、父親は仕事を理由に家に帰らず、祖父母と暮らしているという事実が分かってきたりもします。喋りはするけど、本音を言わない拓海も、実は順と同じような痛みを抱えていたことが分かってきます。
周りとぶつかることを避けて生きることを選んだつまらない自分と違って、苦しみながらも何かを表現しようとする順の姿を見て、拓海も変わり始めます。
ミュージカルを通して浮き上がる4人の心の叫び
本当の思いを伝えられていなかったのは順と拓海だけではなくて、同じように委員になった田崎大樹も仁藤菜月も同じでした。
大樹は、自分の怪我が原因で甲子園出場ができなくなったことで罪悪感を感じ、それを後輩たちの指導にぶつけていましたが、本当は出場できなかったことを謝りたいと思っていました。
菜月は、中学の時拓海と付き合っていたのに、拓海が苦しかった時にそこに手を差し伸べることをせず、言葉で拓海を傷つけ関係がうやむやになってしまっていました。
順が歌を通して自分の言葉にできない思いを表現しようと一生懸命になっている姿を見て、二人も同じように自分の心と向き合うようになり、ミュージカル公演という舞台を通して、それぞれの持っていた痛みが消化されていきます。
ミュージカルの中では、無口になってしまった我が子を創った大きな原因が自分にあったと順の母親が気付く場面が出てきます。何の気なしに言った言葉であったとしても、子どもにとっては人生を狂わせてしまう言葉になるかもしれないということがよくわかるシーンです。
順は、本当は玉子なんていなかったということに気付き、自分の本当の思いを言葉で拓海にぶつけます。幼少期に傷ついた自分を抱きしめて、それを癒すことができたことで、歌ではなく再び喋ることで自分を表現できるようになったのです。
幼少期に傷ついたことが元になり、自分の本音を言えなくなっている人がほとんどと言っていい時代になっています。一人一人が押し込めた本音が溜まりに溜まって、無差別殺人とか自殺とかそういった社会問題に結びついていることを知る人は多くありません。
傷つき、玉子の殻に閉じこもった自己ではなく、その本来性が花開いていく人が増えることがとても大切だということを気付かされる映画でした。
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最後までご覧いただきありがとうございます。