山の中で暮らしてみたら 意識探究への道③
安曇野から戸隠へ
冬季のクローズになる12月までシャロムヒュッテにいて色々なことをしていて、翌年も戻ってくるつもりでいたんですが、ひょんなことからイベントで知り合った戸隠の方にご縁ができて、翌年2月末、タイから帰ってきたばかりのタイミングで戸隠でお世話になることになりました。
古民家とその前の棚田、更にはあちこちで借りている畑を合わせて結構な広さの農地で米・野菜を育てるのを実地で習いながら学ぶというのが始まりました。
田んぼを一通りやってみる
冬季湛水をする岩沢農法と呼ばれる手法も一部で取り入れつつ、EMなどを活用した田んぼづくりでしたが、必ずしもすべて手作業というわけではなく、耕運機や管理機、手で押す稲刈り機なども使っていました。
多くの場合、苗は農協などで買ってきて育てるケースが多いのですが、塩水選した籾を流水にさらして、自分たちでトレーに播種し電熱線を巻いて温め、包んだシートの中で発芽させ、水を張った区画にビニールシートを被せて温室のようにしてそこで育苗するという方法でした。
育苗中の水の量、高さや温度、温室化したスペースの温度を日々チェックしながら慎重に育てていく必要があり、中々に大変な作業でした。雪が融けてくると、集落を流れている水の田んぼへの引き込みのための土木作業や、畦との間に波板を設置したり、水抜けが見つかった時には代搔きして畦の間の抜けを塞ぐなど単純に田植えする以外の作業が多々ありました。
田植えから少し経ったら、チェーン除草と呼ばれる除草をします。大きめのパイプにチェーンをいくつもくっつけた道具を使って、田んぼを行ったり来たりすることで、雑草の苗が田んぼから浮き上がってくるというもので、稲の苗が活着してから育ちすぎて折れてしまわないタイミングでやっていました。
除草剤を撒かないために、こういった除草にかかる手間は結構あり、棚田になっているところの傾斜部分の草刈りと合わせて中々に大変な作業でした。他にもゾウムシが大量発生した時には、食用油の廃油を田んぼの表面に撒くなどして、稲に上がってこないように対応したりと色々とやることがあったのです。
生活スキルを磨く?
田んぼの他に野菜も色々育てていたので、育ってくるともぎたての新鮮なものが食べられる日々でした。ナスは生で食べることはまあないですが、とれたての水ナスは生で食べても十分美味しいものでした。
他にも10㎏以上の大豆をデカい羽釜で夜通し煮て、大量の味噌を仕込んだり、鹿肉を使ったソーセージを作ってみたり、近所に住んでいる蕎麦を教える先生の先生に教わって蕎麦打ちをしてみたりと色々なことに挑戦しました。何度かやったこともあって、結構いい感じに蕎麦は打てるようになりました。
田畑の野良作業と並行してやっていたのが、千葉の方から注文が入っていたゲルづくりの手伝いでした。木工に要する機械や道具が一通りあったこともあって、材木からゲルの壁となるジャバラ部分や、屋根になる部分の材を加工したりというのをやっていました。
材の厚みの調整から、必要な大きさへの裁断、面取り、サンダーがけ、更にトリマー加工から手鉋による丸みをつける作業まで、様々な工程に関わりました。実際の施工では、基礎となるレンガ積み、土台の床部分の加工等、時に夜間に及ぶ作業もありながら、設置に向けた準備にも関わりました。
育苗から稲刈りに至るまでの期間を通して、本当に色々な体験をさせていただいたなあと思います。日々ストーブで使う薪の加工、トラクターの運転、大量に積んだ竹の軽トラでの輸送、千葉までの車の運転、桃の摘果の手伝い、田んぼで捕れたドジョウを食べる等、都会の生活の中ではやることが全くなかったことに挑戦できたのは非常に良い機会でした。
そして、この戸隠にいる間にある場所に行くことになったことで、今につながる意識の探究が始まっていくんですが、それはまた次のお話です。
続く
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