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Musubi Trip 〜むすぶ・生まれる〜②

前回(Musubi Trip 〜むすぶ・生まれる〜①)からの続き。
ムスビ≒魂って、一体どういうこと?

あらかじめ、自己保身のために申し上げておきたい。
私は研究者ではなく、これから述べることはもしかしたらその道の研究者の方にとっては「なんとも浅はか」な考えかと思う。ここで残しておきたいのは、あくまでも何が「正解」かではなく、単純に私が何に「衝撃を受けた」かということなので、ご容赦願いたい。

本居宣長という人の名前を聞いたことはあるだろうか。
この人は、さまざまな有名な書をたくさんこの世に残した人である。江戸時代の人で、「国学者」と呼ばれ、現代でいう日本思想史の探究者のように、古典に基づき古代日本の思想や文化を明らかにしようとした人である。時代は違えど、どことなく親近感を覚える。

本居宣長が書き記した書の中に『古事記伝』というものがある。Wikipedia曰く、その名の通り『古事記』の研究書であり注釈書だ。その中に「ムスビ」についての解説がある。「ムス」とは「生まれる」という意味だとか。「息子(ムスコ)」や「娘(ムスメ)」にも、「ムス」という言葉が入っている。そういえば、「苔むす」という言葉も現代にまで残っている。イメージ的には自然に湧き上がってくる、といった感じだろうか?

一方「ヒ(ビ)」というのは「ものの霊異」なことを指すらしい。霊異とはWeblio辞書曰く、「人間の知恵や経験では対応できない、奇妙な現象や事柄などを意味する語」とのこと。

つまり、ムスビというのは何かが生まれる不思議な力、といったところか?

思い返してみると、現代にまで残っている「ムスビ」の用例の中には、古の日本人が考えていた「ムスビ」の意味合いが残っていることに気づく。代表的な用例の一つ「縁結び」という言葉。これは人と人との縁が結ばれること…ではあるが、ある意味ではそれによって新しい何かが生まれる力が育まれる、と考えられることもできるだろう。

「おむすび」も…。確かに、おむすびを食べることによって生命力がみなぎってくるような気が…しなくもない。

古の日本人は「ムスビ」という言葉に未来を託していたのかもしれない。古の人にとってみれば「今」が全てで「未来」はその字の通り「未だ」「来ない」もので、あまり意識していなかったのかもしれないけれど。でも、息子や娘のように、自分から生まれ出でたものに対して、言葉にできないような希望や感動と人智を超えた何かすごいもの、という感情を抱いていたのではないだろうか。

古の人が大切にしていた「ムスビ」という言葉。それを「魂」として記した。「魂」は前述のように、現代と同じ意味での「魂」という意味を古の人も持っていた。古の人にとって、「魂」というのは「何かを生み出す不思議な力」の象徴であり、人の命の象徴でもあった。その人が生きる上で何かを「生み出す」ということは、自らの生きる意味に等しかったのかもしれない。

そんな風に思い至った。
長くなったが、卒業論文を書くための研究の中で、「ムスビ」という言葉が単に「何かと何かを繋ぐ」という意味だけでなく、「何かを生み出す、生まれる不思議な力」という意味があり、かつそれが「魂」であるということを知った私は、その言葉に特別感を抱くようになった。なんというか、自分の中の何か「大切」なものの一つであり、自分のアイデンティティの一つになったのだった。

その③につづく。

ちはや ふみ

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