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父の話
向田邦子さんの『父の詫び状』が好きだ。と言っても読むそばからすぐに忘れていくわたし、読んだのが20年くらい前なので内容は頭の中にほぼないに等しい。(つまり、何度読んでもフレッシュな驚きがある。コスパのいい女である)内容は忘れてしまうんだけど、いつも空気感みたいなものは覚えていて、たぶん、向田邦子さんのお父様に対する暖かい視線のようなものが好きなんだと思う。なんだかんだ言っても、父は家族を、家族は父を愛しているというのがいい。
わたしの父は腎臓を患っていた。高尿酸血症。仕事の都合上、必要な利尿剤を飲むことが難しく、だからと言って仕事は休めず難しかったらしい。
わたしは長女で、父は男兄弟で育ったため、バカみたいにかわいがられて育った。子供の頃、休みの日にはよく図書館に連れて行ってくれて、父は自分の好きな作家の本を読みながらもせがむと絵本を読んでくれた。初めて口に出してひらがなを読んだ日、「この子は天才だ!」と大袈裟に喜んだのも父である。
また、ある日は一緒にテレビを見ていて面白そうなパーティーゲームのCMを見たあと、「散歩に行ってくる」と言って出て行き、なかなか帰ってこないなと思うとおもちゃの包みを持って帰ってきた。『シャーロック・ホームズの冒険』を買ってくれたのも、『マンガ日本の歴史』を買ってくれたのも、『りぼん』を買ってくれたのも父だ。
わたしが病気で学校への通学が難しかった時にトラックで(ドライバーだった)送り迎えしてくれたのも、病院の通院に付き合ってくれたのも父だ。
結婚が決まってから父の提案でふたりで浅草に行くことになった。浅草寺にお参りに行き、手頃な店で和食を食べた。せっかくだからもっといい店にすればよかったと、父は言った。
結婚式はわたしはお金のことしか見えていなくて、いかにそれらしく(夫の実家の体面があり)安く挙式を迎えるかしか考えていなかったわたしに、会社の若い人の結婚式に出た時、教会式のウェディングでバージンロードを父親と娘が歩くのを見たと言って、「あれをやりたいなぁ」と慣れない服を着てバージンロードを一緒に歩いた。
そんな結婚式が12月に済み、手作りのおせちを持って実家に行った時、
「お父さん、もうすぐ死ぬかもしれない」
と突然父が言い出した。当然、何事かと思う。病気があるのは知っていたけど、突然死ぬ?尿酸値のコントロールをすれば大丈夫なはず。「そんなことあるわけないじゃない」と笑い飛ばしたその一月末、父は突然亡くなった。病状が突然悪くなり、外来で診察を待っている間に倒れた。
結局のところ、わたしは死に目に間に合わなかった。さんざんかわいがってもらったのに、だ。父はわたしを恨んでいるだろうか、と考えることがあるけれど、いつも、そんなことはないよと笑ってくれる気がしている。
不憫なのは孫の顔を見せてあげられなかったことだ。きっと子煩悩な父のことだから、孫もかわいがったんじゃないかと思う。あんまり死んだ人の話をするのもなんなのでお墓参りの時などに、子供たちに父の話をする。「じじはもし生きてたらかわいがってくれた?」という子供の質問に「もちろんだよ」と答えられる自分がうれしい。
わたしが悔いのないように、バージンロードも一緒に歩いてくれた父の、披露宴で泣いた時の姿を一生忘れないと思う。
あ、ダメだ。泣けてきた。