あの日、さみしい。といってもよかった
ちいさな頃の強烈なキオクで
幼稚園の年少さんの頃、
一番下の妹が産まれて(妹はふたり)
母がまだ、入院してたときのこと。
幼稚園にいく準備をして
歯をみがいていたら
母がいないのが、ふとさみしくなって
鏡のまえで、泣きそうになった。
そのとき、父がうしろからやってきて
「やばい」ととっさに
泣くのをみられぬよう我慢した。
恥ずかしい。とか
そういうんじゃなくて
心配をさせたくなかった。
そうして、こころのなかで
泣くもんかなくもんか。と呪文のように
唱え、お父さんにもお母さんにも
心配をかけさせまい。と
グッと歯をこらえて、つよく、誓った。
もう、30年以上も昔のことだけれど
ふと、時々鮮明におもいだす
その出来事は、これまでのわたしの人生の在り方を
おおきくカタチづくるひとつの
型のようなものだったようにもおもう。
きょう、
じぶんのイシキを探検するワークをしていたら
全く別の入口から探検をしていたのだけれど
ひとつのじぶんのイシキが変わったとき
ずうっと、思い出す度におんなじだった
あのときの景色がかわった。
あのとき、ひとり必死に歯を食いしばって
泣くのを堪えていたけれど
本当は、あのときいたお父さんに
きてくれていたおばあちゃんに、
さみしいんだ。って言ってもよかったんだ。
抱きしめてもらいにいってもよかったんだ。
そんなこと、しらなかったなあ。
そんなこと、ぜーんぜん、しらなかったなあ。
でも、して、よかったんだなあ。
あ〜、よかった。
やさしいせかいで、よかった。