思いやりを、時限爆弾に変えないために。
前回の内容の追記として、
今回は"思いやり"をテーマに。
"思いやりを持って人に接したい"と思ってはいるのに、いつも途中で自分の意見やエゴがでてきてしまう。
自分の本当の意見や思考と、他人を思いやりたいと思う自分が
頭の中で対立してしまって、最終的にはどちらも疎かになる。
これを繰り返してる人、多いんじゃないかなぁ。
もれなく、かつてのわたしもそうでした。
どちらかしか取れないのか?
自分は結局優しいふりをしたいだけなのか?
そんな問いを繰り返しても
自分を責め立てるだけで解決策は出なかった。
そんなことを長いことずるずる引きずったまま
変われない自分を、無いと思っていた正解を嘆いては塞ぎ込み、時間が経つことで曖昧に濁し放置してきた。
でも今思うことは、
自分を責め立てることと
自分と向き合い解決策を考えることは
全くの別物だったということ。
わたしはずっと、前者だけを繰り返し、諦め、
目を逸らしてしまっていた。
自分を責め立てたところで、考えなければ
事態は何も変わらないのに。
そのときのわたしの頭の中といえば、
"どうして"
"なんで"
ばかりだったように思う。
自分を責めるというのは、言ってしまえば逃げなのだ。
自分を責め立て嫌悪していても
目を逸らし、自分はこういう人間なのだと諦め、変わろうとはしない。
だって、その方が楽だから。
変わる努力より、自分を嫌った方が手っ取り早いと
どこかで思い込んでしまっていた。
でも今思えば、
嫌いな自分を引きずって歩くより、
変わるために行動を起こした方が
長い目で見たとき遥かに意味や意義がある。
それに、うだうだ文句を言いながら立ち止まっているより
腹を括って進んでみたら、案外早く楽になれたりするのだ。
だからこそ一分一秒でも早く、
さっさと動いてしまえよと自分に言い聞かせ
やっと重い腰を上げて、変わるために行動を起こした。
そんなわたしがまずしたことは、
"どうして"
を
"どうしたら"
に変換すること。
自分への問い方を変えた。
これだけで随分と楽になり、病むことは少なくなって
代わりに考える癖がついた。
"どうしてこうなんだ"と嘆くんじゃなく
"どうしたらこうならないのか"と考える。
悪いところを"責める"んじゃなく
良くするためにすることを"考える"。
そうして気づいたことは、
自分の本心と他人への思いやり
どちらかしか取れないわけじゃなくて
取り方と順番を間違えていただけということ。
思いやりを持って人に接したいと思っているのに、
自分の本心と他人の意見が違うと感じたとき
自分の意見を通したい気持ちと、人を思いやりたい気持ちが対立する。
そうなってしまったらもう、どちらかを取るしかないのかと思ってしまっていたけど、
そこで仮に"思いやり"を取って他人の意見を受け入れたところで
それはただの我慢であって、自己犠牲であって、エゴなのだ。
いずれ爆発する爆弾を抱えただけの、その場凌ぎでしかない。
それに気づいた今のわたしは、
まず自分の声を聞き、理解した上で他人と接するようになった。
本当の優しさを自分なりに考えたとき、
最後までできないのに"一旦"自分を押し殺して他人の意見を通すんじゃなく
自分をきちんと提示した上で、他人の意見を聞くことが
爆弾を抱えないために最も重要だと思った。
これがわたしの意見であると早い段階で相手にきちんと提示することが、
本当の意味での"優しさ"や"思いやり"なのではと気づいた。
そのために、まずは自分の意見や思考を
自分自身が理解する必要がある。
自分と話し、理解し、許す。
結局、他人を受け入れる余力が自分になければ
心から思いやることなんて不可能で。
だからこそまずは自分のキャパを知ること。
他人への思いやりは、きっとそこからだと思う。
結論としては、前回と同じ。
順番を間違えただけ。
自分を理解し、把握してから
他人に目を向けること。
この順番を逆にすると、途端に悲劇が待っている。
そしてまたお決まりのループ。
もうそんなこと終わりにしよう。
だって
他人を思いやりたいと思える人間が、優しくないわけがないから。
使い方ひとつ、捉え方ひとつ。
物事はいつもシンプルで、
難しくしているのはいつも自分自身で。
そんな自分に嫌気がさしているのなら、
そしてこれを読んで何かを感じたのなら、
それはきっと、いよいよ変わるべきときがきたということ。
タイミングを、チャンスを、
無駄にしないように。
無下にしないように。
他人を思いやることは、
自分を理解しないことには始まらない。
そこを疎かにしたまま見切り発車で人に優しくしたところで
結局は爆発してしまうから。
自分への問い方を、順番を、間違わないこと。
責め立てて病むことと、考えて悩むことは違うということ。
爆発する自己犠牲と、誰かを思いやる優しさを履き違えないこと。
忘れないでいたい。
どんなときも、愛を見失わないために。
どちらかしか取れないよなんて口にするような
悲しい大人には、けしてならないために。
忘れないでいよう。