おし始動!田舎のサウナに惹かれて
はじめまして!スタッフのおしです。
4月からスタッフとして蒸で働かせてもらっています。
好きなものは、サウナと珈琲。
ここで改めて、大石が、おしとして蒸で働くまでを簡単に紹介させてください。
おし少年時代
僕は、蒸がある京丹後市の隣、兵庫県豊岡市の但東町で生まれ育ちました。
小さいころから、川や山で遊ぶのが大好きで、二人の兄について行き、
よく「冒険だー!」
とか言いながら走り回っていました笑
今思えば山や川等の自然が近くにある蒸に惹かれたのはそんな少年時代が影響してたのかもしれません。
二人の兄が野球を始めて、両親が兄の野球について行く中、僕は一緒に暮らしていた祖父と祖母とよく、近所の喫茶店や温泉に連れて行ってもらうようになります。
ここが僕が珈琲とサウナが好きになったルーツになります!
ちなみに兄に続き野球小僧となり、高校まで野球を続けます⚾
はじめての蒸
福祉用具の営業の仕事、いわゆるサラリーマンとして妻と子供と3人暮らしでアパートで暮らしていた僕は、ある日突然会社に行けなくなりました。
会社を休職して生活するなかただ時間だけが過ぎていき、何もやる気が起きない。そんな生活を送っていました。
以前からインスタグラムを見て、京丹後にサウナ施設ができたことは知っていましたが、休職前の僕には温泉や、ましてやサウナに行く時間と心の余裕がありませんでした。
そんな中ペイさん主催の「うつとサウナ」のイベントを見つけ、去年(令和5年)の9月、幸い平日の昼間は時間に余裕があったため重い腰を上げました。
サウナに向かう道中の心境としては
「ちょっと緊張するなぁ」
「どんな人がいるんだろう」
「まぁなんでもいいや、ちょっとサウナ入ってすぐ帰ろう」
といった感じで、完全に絶望ネガティブ大王でした。
まぁそんな感じで蒸に到着。
そこで初めてキリさん、ペイさんに出会いました。
ペイさんの丁寧な案内のもと(久しぶりに人と話してあんまり記憶ない)
サウナに入りました。
サウナ室に入り、
「サウナ=熱い」
という概念がひっくり返りました。
「ここのサウナは温かい」
大袈裟なんですけど、心がほぐれていく感じがしました。
しばらくして、キリさん、ペイさんと話す時間がありました。
自分でもびっくりするくらいよく喋りました笑
その時に、
「珈琲が好きでいつか珈琲やりたい」
と夢の話もしました。
その時にキリさん、ペイさんから
「このイベントの時に珈琲やりませんか」
と言われました。
え、俺なんかが?ここで?
ていうか、全然素性も何も知らない俺なんかが?
ほんまにできんの俺が!?
といったマイナスのネガティブワードをかき消すように
やりたい!!
と言う気持ちが溢れて震えが止まらなくて、心臓バクバクしながら家に帰りました。
おし始動
それから、月一のうつとサウナの珈琲に始まり、みんなの蒸に通うようになり、たまに薪割り、冬は雪かきなど関わる機会が増えるにつれ、自分のことが分かるようになってきました。
蒸にいれば心が落ち着く。
ゲームでいうセーブポイントというか、居るだけで体力が回復するみたいな場所になっていたのかもしれません。
利用する側でありながら、蒸が大石の「居場所」になっていました。
そんなさなか、6月より「うつとサウナ」主催者のペイさんが、地元愛知でサウナを作るため帰ります。
キリさん、ペイさんからうつとサウナを引き継がないかとお話を頂き、
うつとサウナを無くしたくない!
そして4月よりスタッフとして蒸で働くことになりました。
やはり個人的な思い入れも強いですが、「うつとサウナ」で前を向けた僕が引き継いでやり続ける事に意味があると感じています。
スタイルを変えるつもりはないですし、誰かにとって落ち着ける場所であり続けるようペイの意思を引き継いでやっていきます。
あの日あの時、勇気をだして蒸に来たことがきっかけで、もちろん沢山の人の支えがあって今の自分があることをつくづく感じます。
支えてもらえたから、次は誰かにとっての拠り所・居場所として支えていきたい。守っていきたい。そう思います。
蒸に温められた側から、温める側へ
これからも蒸が愛される施設であり続けるよう、キリさんと共にストーブに火を灯してまいります!!
長くなってしまいましたが最後まで読んで頂きありがとうございます。
皆さんにお会いできるのを楽しみにしています!
ニューフェイスおしを皆さんどうぞよろしくお願いします!!