光が、差した
日々不安と闘っています。生活の中には「○○したらどうしよう」が散りばめられています。
不安が過ぎると何もできなくなります。
未知のウイルスが大流行し長距離移動できなくなりましたが、そもそもそんなことができるような状態ではありませんでした。
完全に病んでるなと思うのですが精神科の医師に相談すると投薬以外何もできません、とたいして重くはない印象でした。個人的にはかなり自由がない、規制がたくさんかかるこの生活にうんざりしています。
この不安以外に仕事で求められもしないパフォーマンスを勝手に自分に課して息苦しくなっているふしもあるのです。完全に性格の問題なのですがそれも己を苦しめています。
今月はずっとそれらから解き放たれたいと考えていました。「○○したらどうしよう」と不安になる気持ちは分かるけれど予防した結果起こってしまったことならば受け入れるしかないよ、と。
いまの自分の生き方に納得していない気持ちも分かるけれど生まれ変わって自分の願望を叶える人もいるのだから、自分だけではないのよ、と。
そんな中ふっと目にした文章の中に私が信じるものは別の視点では絶対的ではない、と書かれていたんです。
光明が差した気がしました。抜け出られない暗闇を脱するための鍵かもしれないと思いました。
他者の存在が必要だと自覚した瞬間でした。
これは自分で気づくことが出来ず、誰かから伝えられることで分かることでした。
加減が分からず他者に指摘されてはじめて世の中の平均から外れていると分かることに近いと思います。
自分で解けぬ呪縛のような。
紅白歌合戦を観ていて思うことは音楽は人の気持ちを変化させる力を持っているということで、笑うことそのものも人の身体に大きく作用するといいますし、来年はもう少し音楽と笑いに触れようかと思いました。
自分が心地よいを探す旅。
何となく編み物も始めたので、それも続けられますように。
それから、もっと愛が溢れる日々を意識したいです。
挨拶ひとつ、声かけひとつでささやかな愛を表現することは明日の糧に繋がると感じるので。
誰かに好かれたいではなく、みんな健やかにいてほしいです、無理なく。
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