物語に救われる日々
今の私の密かな楽しみは『きのう何食べた?』season2と『天狗の台所』を観ること。
土曜の朝は食事をしながら、いそいそとTVerでドラマを観る。
二作品とも料理が物語にとって欠かせない存在だが私は食いしん坊なのか、少食ですが。
『きのう〜』はケンジの愛らしさがたまらんのです。見てて心底安心する。今シーズンはシロさんの過去のエピソード回で思わず泣いてしまった。
『天狗の〜』はロケーションが最高でイントロで流れる映像に引き込まれ、そのままはまってしまった。オン君がちょうどうちの子に近い年頃なので親近感があり、基くんの作るこった料理がおいしそうで魅入ってしまう。有意くんといい、みんな表情が瑞々しくて見ていて気持ちがよい。
両作品とも音楽もとても心地よく、ささくれだった神経が休まって自然と気持ちが穏やかになる。現代社会を生き抜く大人というよりも、別れた夫、行政、慣れ親しんだ職場に救われている感がかなり強い頼りない四十代半ばの私ですが、かなり疲れているらしく、こうしてつい癒される作品ばかり選んでしまう。
そう、そんな弱々しい私の十月はまさに強制的に休息を強いられ、自分の体を知りなさいと警告されたような一か月だった。
インフルエンザで一週間ほど寝込み、なんとか仕事に復帰したのち、一週間もしないうちに胸の痛みと呼吸困難で病院へ搬送された。
病院で検査してもらったあとは翌日欠勤したものの、週明けから仕事復帰。二週間のカウンセリングプランを受けながら過ごした。
今回病院での検査で命に関わる疾患は見つからなかった。要は何かが引き金となって症状を引き起こしたわけだが、主な原因はストレスだと勝手に思っている。
ボロボロになり、やっと落ち着いたところで来月から違う店舗に異動になってしまった。そんな折に『僕の手を売ります』を観たわけだが、人の良いオークワさんに少しばかり元気をもらった。何でそんなに不器用な生き方ばかりしてしまうのか。彼が時に「なんでぼくはいつもこうなんだ」と激しい自省にかられながらも淡々と仕事をする姿は見ていて心地がよかった。よかったけれど、みちるさんとのエピソードを見るとそういうの必要なんだろうかと私の中の女の部分が口を出してきた。あれは浮気の前駆体にしか見えない。別によいと思いきれない自分があまり好きになれない。もちろん他人事なら何でもいいけれど映像作品を見る時は主観を軸に見てしまうから厄介だ。
好意を寄せることは決して悪いことではない。気持ちが強くなる前の仄かな好意のまま仲睦まじくしている姿は見ていて微笑ましい。けれど気持ちが固まって好意を寄せられるのはあまり好きではないことに気付いた。その気持ちに応えたくても応えられない。それでも押しつけられる。人はなんて我儘なのだろうか。
数年前に仕事中に手を掴まれた人から手紙をもらった。読み終わってこの人は何がしたいのだろうと思った。私はなぜこんなにも苛立たしいのだろうか。
きっとこんなことなど望んではいないからだ。私はあなたと話などしたくはない。
私が話したいと思う人は私と話すことを望んでいないかもしれない。大切な人ほどこんな思いなど抱かせたくはない。
永遠に人付き合いが苦手なままだ。
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