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一首評:近藤かすみ「雲井通」より

つぎつぎに改札くぐる人の身の裡にみつしり臓器は詰まる

近藤かすみ「雲井通」より(『花折断層』収録)

鉄道の改札口のほとんどが自動改札機になって久しい。そこを通り抜けるたびに、空港での手荷物検査や保安検査場の金属探知機を思い出して、「スキャニングされているな」と感じることもままある。

特に、紙の切符ではなく、交通系カードやスマホを機械にあてて通り抜けるとき、「スキャニングされてる感」はいよいよ強まる。

そんな感触からだろうか、作者は「つぎつぎに改札をくぐる人」の身体の内側に「臓器」が詰まっていることを改めて感じたのだろう。少し不気味な感覚だ。

さて。このうたで注目したいのは、「みつしり」という言葉だ。

このうたを読んだときに、ほんとうに「臓器」が密に詰まっている印象をうけ、そこに気持ちの悪さ(もちろん良い意味で)を感じた。

もしかしたら、旧仮名遣いで「みつしり」と表記されていることが効果を生み出しているのではないだろうか。

ひらがなの文字の形に注目してみる。「つ」は上辺と右辺を、「し」は左辺と下辺を、「り」は(「つ」では補いきれない下の方まで)右辺を、囲んでいるように見えてくる。そして「み」は、上辺の蓋でもあり、四方に囲まれた匣に収まるうねうねとした中身、といったところだ。

ぎちぎちに臓器が詰まっている感覚が、文字表記によって増幅される。

これが現代仮名遣いで「みっしり」と書かれていたら、密な感じもこのうたの不気味さもおそらく薄れてしまうだろう。

漢字を書き連ねて密な感じを演出するということも考えられるが、それよりもこちらの方が面白いと思う。

旧仮名遣いによる文字表記が効果を生み出しているうたなのではないだろうか。


近藤かすみの短歌には、漢字の形状に注目した次のようなうたもある。作者の文字の形状への意識を感じさせる。

天眼鏡のレンズにふくらむ蠅の字に道あり家が六戸向きあふ

近藤かすみ「大鳥居」より(『雲ヶ畑まで』収録)


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