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絶対音感がないなら音楽の才能はない
昔の話ですが、ピアノの先生が生徒の話をしていたのを小耳に挟んだことがあります。
「あの子、いい子なんだけどねー。音がわからないのよね」
「絶対音感ないのねー、かわいそうに」
特にクラシックの音楽教育において、専門的に勉強している人間であれば「絶対音感」がある、という前提を持っている教師は多いです。
そういう価値観のもとで勉強していれば、生徒も当然それを感じるでしょう。
私も専門はクラシック。
芸大在学中にも、学生同士でそういう話が出たことがあります。
「俺、絶対音感ないから〜」「私、絶対音感ないから〜」と言う彼らは、ちょっと残念そうなトーンで話します。
でも、そんな彼らの歌う音程はとても良かったりする。
はて、絶対音感がないのに音程が良いのはなぜなのか?
日本のソルフェージュ教育は「絶対音感偏重」です。ゆえに、小さい頃から訓練していれば「絶対音感」がない方が珍しい、とまで言える状態です。程度の差はあれども、日本の音大生は7〜8割が絶対音感保持者だそう。(一般大学は1割未満)
ある程度の年齢になってから訓練を始める管楽器や声楽は絶対音感のない人の比率が上がります。ということは、逆を言えばピアノやヴァイオリンなど、幼児期からの訓練がほとんどの楽器であれば絶対音感100%に近いということでしょう。
最初に述べた通り、日本のソルフェージュ教育は「絶対音感偏重」です。
「絶対音感がない人」も、「絶対音感がある人」と同じ土俵で、同じ方法で訓練をしています。
これでは「絶対音感がない人」が苦労するのは当たり前です。
はて、音程って一体何なんだろうか。
絶対音感が音楽の才能なのだろうか?
結論から言います。
絶対音感と音楽の才能は全く関係がありません。
それどころか、音感自体の才能も測れません。
音感の才能は「相対音感」です。
音同士の関係性を適切に把握、配置する能力。才能ある音楽家は例外なくこれに優れています。「絶対音感」があるかどうかは別の話。
絶対音感がなく、相対音感ですべてを処理している人もいれば、絶対音感を持ちつつ、音の幅をもきちんと捉えている人もいる。優れた音楽家は例外なくそのどちらかです。
絶対音感と相対音感が両立出来る人はいますが、原理的には相反するものです。
ゆえに、絶対音感があれば相対音感は身に付けづらくなります。それが中途半端な絶対音感であれば、なおさら相対音感を意識出来なくなります。
単音の高さがわかるのに「長三和音と短三和音が聞き分けられない・歌い分けられない」人は珍しくないのです。
私の指導者としての感覚ですが、絶対音感と相対音感が両立していると感じられる人は、幼少期に完璧に近い絶対音感を身につけています。
音の幅を考えようと思った時に、絶対音の情報が邪魔にならないほど定着している人。
歌や弦楽器など、絶対音感でありながら自分で音程を作らなければならない音楽をしている場合、この両立はかなり高い確率で行われているでしょう。
これが、中途半端にしかわからない絶対音感の人であれば、相対音感も弱い傾向にあります。絶対音に固執してしまうのが原因と考えられ、歌や弦楽器は合っているような合っていないような不安定な音程になります。
絶対音感が全くない、という人になると、逆に相対音感が強くなります。相対音感でなければ音が捉えられないのですから、これは当たり前。
相対的に音の幅を捉えている、という自覚がないままの人が多いため、どのように訓練したら効率的なのかがわかっていない場合がほとんどで、現行の入試で課されるようなソルフェージュは苦手かもしれません。
ただ、実際の演奏能力とソルフェージュの入試結果は比例しません。
音楽家になりたいのなら、相対音感を鍛えなければなりません。
そして、相対音感を鍛えたいなら、それに見合った訓練方法があります。
絶対音感のあるなしで、ソルフェージュの訓練方法は変わらなければいけませんし、いずれにせよ10歳を過ぎたソルフェージュの訓練で、身につけなければならないのは「相対音感」です。
(個人的に絶対音感をつけようとする訓練自体あまり推奨はしませんが、小学校低学年までであれば、訓練によって音高を覚えるという効果があるのはそのとおりです)
相対音感にフォーカスするためには「階名」を使うのが一番効果的です。
ただ、階名を使ってソルフェージュを実施出来る教師は一握りです。おそら
く指導者の1割もいないでしょう。
これはどうにかしたい、と思います。
少なくとも私自身は(ゆるやかな絶対音感があっても)階名のおかげで自分の耳が変わったと実感しているので、この方法はどのような人でも役に立つものである、と確信しています。
そして、「絶対音感がないから私は音楽の才能がないんだ」と思い込んでいる人に、そんなことないよ!って言いたいのです。
「絶対音感」がない、というのは、無駄なく効率よく相対音感が鍛えられる最高の耳なのですから。
音大の入試課題のソルフェージュをこなそうと思ったら、絶対音感が身についた人の方が断然有利です。それは間違いありません。
でもそれは、絶対音感がすぐれた音感だから、ではなく、今の入試がそういう課題になっているから、というだけの話。もちろん、相対音感を意識的に働かせて、現行の課題をこなす方法はあります。
先に述べた「和音を歌わせる課題」や、「演奏した曲を違う調性で書きとる課題」が課されれば、入試における絶対音感の価値と相対音感の価値は反転するでしょう。
現在でも、ポップス系の学科であれば、聴き取ったメロディを移調して歌う、などの課題が科される大学があります。
音を拾うだけであれば、絶対音感は大変便利です。本当にそれは疑いようのないところ。絶対音感と相対音感、お互いを邪魔せずに両立することができれば、それが一番便利かもしれません。(五嶋みどりさんなど、絶対音感があることによる弊害を語るヴァイオリニストもいます。究極の一音を求める時、絶対音感はやはり不要です)
音大に入るためには絶対音感が重宝され、でも実際音楽家になろうとするなら重要なのは相対音感です。この矛盾、なんでしょうね。
いずれにせよ、絶対音感を身につけるには年齢制限があります。
そして、もし中途半端にそれが身についてしまうと、本当に必要な相対音感が身につかなくなるかもしれません。それでは本末転倒です。
絶対音感が身につかない年齢になってから、絶対音感を身につけるようなレッスンをしても効果はほとんどありません。名前のつけられない相対音感が自然に育つのを待つだけです。中途半端に絶対音感があると、それも阻害される可能性が高くなります。
「音感」に困っている人は、勉強の仕方を変えましょう。
音楽の才能は「絶対音感」とは無関係です。
正しく相対音感を鍛える方法を学べば、あなたの眠れる音楽の才能が花開くかも。
音感を向上させたい、と思いつつこの文章をここまで読み進められた方であれば、間違いなく絶対音感の訓練は出来ない年齢です。ご自身が鍛えるなら相対音感一択です。
お子さんにその教育を受けさせるかどうかは、メリットとデメリットをよく調べてからにしてあげてください。少なくともご自身が絶対音感保持者でないのに、安易に絶対音感をつける教育を受けさせるのはお勧めしません。