月面環境学(その2、宇宙プラズマ環境)

宇宙空間は真空で物質がなにもないということはなく、実際には電離したガスであるプラズマや太陽磁場・地球磁場などがあり、月はこのような宇宙プラズマや磁場の中を動いています。そこで、まずは月を取り囲む宇宙プラズマ環境を見ておきましょう。
月は約29.5日の周期で地球の周りを公転します。1回の公転周期のうち、月が地球磁気圏の内部に存在するのは満月前後の約4日間であり、残りの約25日間は磁気圏の外側にいて太陽風プラズマの直射を受けています。

図1. 太陽風・太陽光と月面の相互作用を模式的に描いたもの。スケールは実際とは異なり、太陽はこんなに近いところにはいない。なお、月が磁気圏の中にいるときは少し話が違ってくる。(図のCredit: Jasper Halekas, Greg Delory, Bill Farrell and Tim Stubbs.)

太陽風プラズマ

太陽からは電離した気体である太陽風プラズマが磁場とともに吹き出しています。これを「太陽風」と呼びます。太陽風プラズマの成分のうち、正電荷の95%以上が水素原子核(陽子H+)、4%程度がヘリウム原子核(アルファ粒子He++)であり、負電荷は電子(e-)です。その他に少量の重イオンを含んでいますが、少ないので今は無視しましょう。全体としては正電荷の量と負電荷の量は等しく、電気的中性が保たれています。地球軌道付近での典型的な値は、流速 400 km/s、数密度 5 /cc、温度 10 eV、磁場強度 5-10 nT、といったところです。この温度を陽子の熱速度に変換すると数十 km/sとなり、流速と比べて熱速度が1桁程度小さいことがわかります。

ウェイクの形成

ウェイク(wake)とは、一般的には船などの進行方向と反対側にできる流れの乱れた領域のことを指します。月の場合には、月の夜側に太陽風に沿ってできる密度の低い領域のことをウェイクと定義することが多いようです。なぜ密度の低い領域ができるのでしょうか。
 太陽風プラズマが月の昼側に衝突すると、その大部分は月面に吸収されます。もし太陽風陽子の熱速度が流速よりも大きい場合には陽子は夜側にも簡単に入ることができますが、実際には陽子の熱速度が流速と比べて遅いため陽子は夜側になかなか入ることができず、そこにはきわめて密度の低い領域が形成されます。
 このウェイクに向かって太陽風プラズマが少しずつ流入する物理過程はこの20年ほど詳しく調べられてきました。詳細は別の機会に説明したいと思います。

磁気圏プラズマ

地球は大きな磁石であり、その磁場の勢力範囲のことを地球磁気圏と呼びます(単に磁気圏と呼ぶことも多い)。地球磁気圏は太陽風によって吹き流されて変形しており、磁気圏尾部と呼ばれる構造を持ちます。この尾部にはプラズマシートと呼ばれる比較的温度の高い領域があります。月の軌道付近のプラズマシートの場合、典型的な陽子の温度は数 keV程度、密度は0.1/ccくらいでしょう。また、プラズマの流速よりも熱速度のほうが大きいため、昼側だけでなく夜側の月面にもプラズマが降り注ぎます。

また、地球の電離層を起源とする酸素イオンが月軌道に到達することがわかっています(たとえば Terada et al. 2017 Nature Astronomy)。この酸素イオンは、ざっくり言えば、植物が光合成をすることによって作られた酸素分子が地球大気の上空で電離することで生成されたものです。20億年前から光合成が起きたと考えると、植物由来の酸素イオンが10億年スケールにわたって月の表層に到達していることになり、なんともエモい話であります。惑星科学的には、惑星と衛星との間で物質のやりとりがあることを意味しています。

帯電のこと

月面の帯電は、月面に向かう電荷と月面から出てくる電荷のバランスによって決まります。(言い換えると電流バランスなのですが、電流の向きは電荷の正負によって変わってしまうため、混乱を避けるためにここでは電流ではなく電荷そのものの向きで記述することにします。)
 太陽光が月面に当たると、光電効果によって電子が飛び出します。それによって月面は負電荷を失い、相対的に正に帯電することになります。太陽風中での昼側の電位は数ボルト程度であることが知られています。ただし、太陽を起源とする高エネルギー粒子が衝突した場合などは月面から飛び出す電子の量が増えて、電位がもっと高くなる可能性があります。
 太陽風中で夜側(ウェイク側)の月面は、おおよそ−100 V程度に帯電していることが衛星の観測でわかっています。負に帯電する理由は、太陽風を構成する電子のうち特にエネルギーが高いものは低密度のウェイクに侵入することができ、その一部が夜側の月面に到達することができる一方で、正電荷を持つイオン(陽子やアルファ粒子)は相対的に熱速度が小さいためほとんど夜側月面には近づけないためです。
 月面の夜側の電位の最高記録では−4.5 kVという数字が報告されています。(最高といっても、負の値なので絶対値が最大という意味です。)ただし、これは周囲の宇宙プラズマに対する月面の電位なので、たとえば月面にいる人が4.5キロボルトという値で感電するわけではないと思います。
 昼側と夜側の境目付近は正帯電と負帯電の境界が存在し、この電位差にともなう電場が存在することになります。この付近では帯電したダスト粒子が上空まで浮遊しているという研究報告があります。帯電ダストの挙動は今後の月面探査において問題となる可能性が高いと筆者は考えています。この帯電ダストについては機会をあらためて詳しく述べたいと思います。

備考

このほか、人類が月面で活動をおこなう場合には厳しい放射線環境が問題となることは間違いありません。宇宙ステーションよりも遙かに厳しい環境です。この放射線環境については佐伯和人先生の「月はすごい」(中公新書)に非常によく書かれていますので、まずはそれを参照されるとよいと思います。

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