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小さな感動を重ねる

コロナ禍の時代となって、みんな窮屈で不安な日々を送っている。
旅行や大宴会やカラオケ大会や人と人とがごちゃごちゃワチャワチャと騒いだり楽しんだりする場が奪われてしまって久しい。

考えてみれば私も、この2年ほどほとんどどこにも行っていない。
そりゃ少しは外出したり街に買い物に行ったり食事に出かけたりしたことはある。
でも頻度は低いし、集まる人数も限られるし、いつも短時間で切り上げる。

一昨年度末に仕事を辞めて時間が出来たので、本当は去年は海外旅行にも行きたかったのだ。でもそれももちろんかなわぬ夢となった。

日々の小さな感動。

そんな中でも、私は今わりと楽しい。
それは、日々小さな感動があるからだ。

毎日は平凡だ。大感動するような出来事はそうそう起こらない。
ましてやコロナのおかげで、イベントも旅行もセレモニーも極限まで縮小され、誰しも息を潜めるようにして生きている。
そんな日々に、ものすごく感動的なことが簡単に起こるはずもない。

感動するものの正体。

では、私は何に「小さく」感動しているのか。
それは、歌である。
そして、その歌を届けるために惜しみない努力をしている人々であり、届けられた歌をまっすぐ受けとめ、120%くらい理解して、その内容をまた誰かと共感すべく届けてくれる人々である。

私は音楽が大好きだ。
映画も本も大好きだが、音楽は一番身近で手軽で一番付き合いの長い「親友」だ。
だからその音楽を通して感動できることが嬉しいし本当にありがたい。

ズバリ、藤井風さんの音楽。
それから玉置浩二さんの歌。
そのほか、邦楽・洋楽を問わず、たくさんの感動できる音楽がこの世に、私のまわりにあるということに感謝だ。
そして、その音楽の素晴らしさを様々なYouTubeの解説動画で教えてもらうことが出来て、その度に小さな感動をもらっている。
特にお気に入りは前からここで書いている「だけじゃないチャンネル」。
アーティストや楽曲への愛と尊敬に溢れ、明るく楽しく語り合う若者たちから元気と感動をいただいているのだ!
まさに日々の小さな楽しみである。

人はパンのみにて生きるにあらず。


不要不急と言われがちな音楽や演劇やアートなどだが、私にはこういう時だからこそなおさら必要だ。
感動のない人生など、どれだけ長く生きられたとしたってつまらない。

心が波打つ瞬間が好きだ。
自然と泣けてくるようなものに触れたとき、自然と笑みがこぼれてしまうようなものに触れたとき、心は波打つ。

小さくてもいい、その波打つ瞬間のなんとも言えない幸福感を味わうために生きている。

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