MUSICA 5月号!
予約していた「MUSICA5月号」、予定通り発売日に到着した。
パラっと捲っただけで「やば。」となった。
風さん特集、思っていたよりすごそう……。
初めて見る写真も沢山。しかもどれもカッケー♪
インタビュー記事の文字も沢山。(8万字とな!)
いったん落ち着いてからゆっくりと読み始めた。
すごい読み応え。
1時間くらいかかっただろうか?
一気に読んだ、老眼にも関わらず!(笑)
はあ~、買って良かった。
記事をくまなく読んで、自分の中の「風像」が刷新された気がする。
なるべく簡潔に、感じたことをつらつらと書こうと思う。
まだ読んでいない方、ネタバレありですのでここまでにしてくださいね。
徹底した英才教育。
学校から帰るとすぐにピアノ。
もちろんそれは知っているつもりだった。
でも思っていたよりずっとハードに、風さんは英才教育受けていたみたい。チラッと「孤独」という文字が浮かんだ。
本人はそれ以外のことは普通の子だったと言っているが、小学生の男子が家に帰ってから友だちと遊ばないで毎日ピアノに向かうって、もう普通じゃない。
ピアノのこと「好きでも嫌いでもなかった」「生活の一部だった」と言ってはいるが、風少年、好きでたまらないから弾いていたんじゃないということは、義務感とかルーティンをこなすためだったのか……。
(でもそのおかげで今の風さんがあるのだから感謝しなくては。)
それが当たり前でそれしか知らなかったのだから、本人にとってはそれが「普通」であって、別に孤独も感じてなかったのかもしれない。
おとんはいつも横にいた。子育ては基本おとん。
本当にいつもいつも風さんの近くにいたみたい。
そして学校であったことを詳しく話していた、と。
4人兄弟の歳の離れた末っ子ということで、おとんもおかんも風さんのことめちゃくちゃ可愛かったんだろうな。
時には具体的な言動の指針を教えてくれたおとん。
精神面・人として大切なことは全部おとんから教わった。
勉強も教わった。というか、一緒に勉強してくれてた。
年の離れたお姉ちゃんもいたから、少しマセてて音楽の影響もびしびし。
とにかく家族が仲良くて、家族から自然と聴かせてもらっていた音楽が膨大で、身につけようと思ったわけでもなくいつの間にか地となり肉となった。
それこそおかんのお腹にいた時からずっと様々な音楽を聴いてきたんだろうな。胎教の最たるものよ。
「バランス」を常に考えている人。
インタビューの中で、風さん本人からたびたび「バランス」という言葉が出てきた。
実はそれ、風さんのSNSの投稿などから私もずっと感じていたこと。
例えば、カッコ良すぎる自分・イケすぎの自分を露出した後、必ずと言っていいほど、Twitterにはおふざけモードの風さんが登場する。
昔のヘン顔の投稿であったり、プロフィールのアイコンや名前が面白いものに変更されたり。
イケ過ぎてファンが息も絶え絶えに「(カッコよすぎて)死ぬ死ぬ」となってくると、必ずそういうの投下してきてホッと生き抜きさせてくれる。
でもその姿勢はSNSに限ったことではなかった、ということが今回の記事でよくわかった。
音楽の発表の仕方からして、いつもそういうことを考えているんだ。
「帰ろう」が自分の代名詞みたいな感じでひとり歩きしなくてよかったと言っていたのも驚きだが、そういうことも考慮して次の曲はバランスとって軽めの「青春」って感じの曲にしよう……とかいろいろと考えているのだ。
自分の全部を理解してほしいという思いが常にあって、風像が偏りそうになると反対のベクトルに向かう。はたまたそちらに行きすぎそうだと感じると、また違うベクトルへ。
とにかく惜しみなく「藤井風」というもの全てを誤解のない形で届けたいという気持ちがある人、そう思った。
人間としてのバランス、音楽的なバランスをとることを常に頭において、非常に戦略的に頭を使って生きている、そんな人間像が浮かんできた。
アルバム作りにおいても、コンセプト、方向づけをしっかり頭に描いて、かなり積極的に自分のやりたいことを周りに伝え、人の意見も取り入れつつも、最後はしっかり自分の納得いく形にもっていく、そんな姿が見えてきた。
完璧なんかじゃない、と思い続けている人。
風さんの歌を聴いて「この若さでどうしてこんなに達観してるの?」という感想を持った人は私だけじゃないだろう。
すでに悟りの境地にあるような、人として完成しているような印象。
自分の子どもくらいの年齢の風さんから人生について、生き方や考え方について色々教えてもらっている感覚。
でも本人はそうありたいと思っているだけで、自分は完璧なんかじゃない、手放すことは難しいと言う。だからそうなりたいという願いとか祈りとか、そういう気持ちが歌詞に現れるだけだと。
……そうなんだね。そりゃそうだよね。
いくら小さな頃からおとんの影響を色濃く受けているからと言って、そんなに簡単に完全な人間になどなれるはずもない。
なのに私たちは、風さんを美化し過ぎてしまう。
なんて凄い人、老成している神様か天使さまみたいな人、と言う錯覚をもってしまう。
風さんには、それは少し重たいんだろう。
それもあってふざけてみたり、昔はヤンチャだったなんて言ってみたり。
(ヤンチャと言ったって可愛いモンよね。両親の愛情をたっぷり受けて育ったいい子は、本当のワルになんかならないもの。)
まずは自分の見方、意識を正常に保つ。
謙虚だから「もっとこうならなければ」という思いをどこかに抱えているのかもしれないけれど、風さん、やっぱりあなたは小さな頃からしっかり教育受けているのよ。
その年齢にして、驚くほど周りに気を遣い人を愛することを知っている。
自分が何をすべきか考え、周りに奉仕するために自分を使いたいという思いを持っている。
完璧ではないかもしれないけれど、そう思って日々暮らしていることが素晴らしいと思う。
一人ひとりが自分の内側を整え、自分を愛しその愛を広げていくこと、謙虚に今あるもの、これからも変わらないものを大切にするということ、彼の作品作りはどこまでもその精神の延長線上にある。
基本は『脱力』した明るい人、でも進化を続ける人。
インタビューの中でたびたび出てきたのは、自分は基本明るくて軽やかなタイプだという言葉。
だから「きらり」が一番凄い勢いで広まって良かった、代名詞みたいになっても重くない歌だから、と。
同時に自分は「臆病で緊張しいのビビリ」と言う。
それで「帰ろう」のような壮大なテーマ(になってしまった)曲が一人歩きするのは怖いのね。自分はそんなできた人間じゃない、と思ってるから。
HEHNとLASA、この2枚のアルバムで今の自分の全体像は表現できたと話す風さん。
きっとこれから、次のテーマに向かって(多分脱力を意識しながら)また新しいことに挑戦していくだろう。
現にこれ書いてる間に映画音楽だのお笑い番組だの、と枚挙にいとまがない。
いつでも導かれるまま、自分でも切り拓きながら、もがく自分と闘いながら私たちを驚かせ続けてくれるんだろう。
次は何が来るのか楽しみだ。
まとめてかかってきなさい
ですよ(笑)。ついていきます、ずっと!