画像1

【10クラ】第35回 たとえ時代が許さなくても

10分間のインターネット・ラジオ・クラシック【10クラ】
00:00 | 00:00
第35回 たとえ時代が許さなくても

2022年6月10日配信

収録曲
♫ジョルジュ・ビゼー:『3つの音楽的素描』より第2曲「セレナード」
♪セシル・シャミナード:カプリース・アンプロムプチュ

オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」

演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)


プログラムノート

多数決に染まらず「良いものは良い」と言い、「好きなものは好きだ」と言える人がどのくらいいるだろう。それを口にすれば平穏が壊されるとしたら尚更、かすかな声は無音になってしまう。

37歳の若さでこの世を去ったビゼーの残したもの―
フランス・オペラを揺るぎないものへと確立したことは大きな功績だった。『カルメン』『アルルの女』など現代においても幅広い層に親しまれ、その旋律は強烈な個性を放つ。『カルメン』での革新的な試みはヒロインの多くがソプラノだった時代にメゾ・ソプラノを起用したことも挙げられるが、なによりいわゆる「社会的地位」の低い労働者―タバコ工場で多くの男性を翻弄する悪女―を題材にしていることである。ビゼーは何か、来る時代を見据えていたのではないだろうか。身分だとか地位だとか、男だとか女だとか、そのようなことに囚われることのない「自由」をカルメンに託している―決して誰かの所有物になることなく人生を謳歌し「自由」のままにホセの剣に倒れた。カルメンの魂は誰にも「所有」することができなかった。言いなりにさせることも当然できないまま、彼女は「死」という永遠の「自由」へ羽ばたいている。

若かりしビゼーは出入りしていたサロンの少女に音楽の未来を見た。それがまだ10歳にもならないセシル・シャミナードである。その感性と知性、意志力を見出したビゼーは前代未聞の「職業音楽家」としての女性を生み出すために奔走する。ビゼーにとっては、それは「特別」なことでも何でもなかったかもしれない。旧体制のパリ音楽院はそれを受け入れることはせず(ビゼーの少し年上のフランツ・リストも若き頃「異国人」ということで入学できないという屈辱を味わっている)、シャミナードは音楽の教育機関で学ぶことは許されなかった。
当時フランスでの音楽活動に大きな力を持っていた「国民音楽協会」の仲間へ掛け合ったのもビゼーだった。性別的な格差のもと長い忍耐の時期を経てシャミナードが正会員として認められたのは22歳の頃、その時既にビゼーはこの世にいない。大きな理解者のいないなか、生涯に渡って「女性が職を持つこと」と闘ったシャミナードを、ビゼーは天から見ていただろうか。

今日はそんなふたりにそっと花を添えるような回にしたい。
たとえ時代が許さなくても、人間と人間が未来を拓く。

クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/