コラールのすゝめ
シューマンは自身の論文の中で
「バッハの平均律を毎日のパンとするように」
と書いています。
ベートーヴェンもショパンもメンデルスゾーンも、バッハを敬愛していました。
そんな作曲家たちの書いたものを演奏する時は、それぞれのルーツにも敏感になっていないと核心に迫ることはできないと思います。
ショパンがバッハに傾倒していることを知らなかったら、ショパンの音楽から、左手の伴奏型に右手のメロディーが乗っているという以上の様々な「うた」、多声的な音楽を聴き取ることはなかなか難しいことです。
ショパンだけでなく、音楽の多くはあらゆる役割を担ったたくさんの「うた」からできています。
そんな隠れたうたの数々に気付ける人ほど深く、愛のある演奏ができるように思います。
ショパンコンクールの覇者であるユリアンナ・アヴデーエワはこう言います。
「演奏しているときは、現実から離れた不思議な感覚になります。その時に何を考えていたか、などは覚えていないこともあります」
日本人の演奏と比べて、西洋人の演奏には何か違った高みがあるように感じていました。
私の今のところの考えになりますが、それは精神性、もっといえば小さな頃から身体をつくってきた宗教というものによるのでは、と思っています。
クラシック音楽はもともとキリスト教から生まれたものなので、当たり前と言えば当たり前なのですが…
やはり異国に育った日本人がクラシック音楽に向かう中で、そこの間を埋めていく作業、というのが必要になると思います。
国際コンクールの審査員をたくさんなさったピアニストの故・中村紘子さんも、ほかの審査員の先生方から「どうして日本人はあんなに子供っぽいの?」と言われたのは一度や二度ではないそうです。
ピアノを弾く人たちが小さいころからバッハを学ぶのはとても良いことで、もっともっと増やしても良いくらいに思います。
それに加えて毎日の練習の中にコラールを取り入れると、自然に大切なことが馴染んでいくのではないかな、と感じます。
コラールはもちろんバッハが書いたものでも良いですし、もっと短いものを基礎練の時に取り入れてみるとか、なるべく多く触れたほうが良いと思います。
そうすると耳も鍛えられます。
4声のコラールのそれぞれの声部を弾きながら歌ったり、3声だけ弾いて残りの1声を歌ったりするだけで、聴き取る力がかなり磨かれます。
これはぜひとも取り入れてほしいです。
とくに内声部分を美しく聴かせることのできる人にはときめきます💖
ピアノは自分で音程を調節しないので、本当はいちばんハーモニー感を持っていなければいけないはずなのに、いちばん耳が発達しづらいんですよね。
適当に声を出しても、鍵盤上のどの音にも当てはまらない音はたくさんあると思います。
そうすると鍵盤上で隣り合わせの音の間にも、たくさんの音が存在していることがわかります。
ピアノを弾くときは、そこの音程感も感じていなくてはいけません。
じゃないと、ユニークな先生からこう怒られます。
「音程が悪い!!!」
パンチの効いたおもしろい言葉ですよね。でもこうおっしゃるピアノの先生に出会ったら、それは良い出会いだと思います😆笑
シューマンの言葉に始まったので、シューマンの言葉で終わります。
もしみんなが第一ヴァイオリンを弾きたがったら
オーケストラはまとまらない
その持ち場持ち場にいる音楽家を
すべて尊敬するように
*** シューマン《音楽と音楽家》 ***
いいなと思ったら応援しよう!
