【10クラ】第32回 薄いヴェールのゆらぎに
10分間のインターネット・ラジオ・クラシック【10クラ】
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第32回 薄いヴェールのゆらぎに
2022年4月22日配信
収録曲
♫モーリス・ラヴェル:『鏡』より第1曲「夜の蝶」
オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」
演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)
プログラムノート
その音響は、水面のなかの自分、または鏡のなかの自分の、また更に目に映る自分―を永遠と覗きこむような、歪んだ時空を連れてくる。水や鏡といった神秘性にはある種の怖さもありながら、解明されきることのない魅力が潜んでいる。
巧みな文筆家はさりげない筆で驚くほど腑に落ちる表現を残していくが、ラヴェルの『鏡』はそれと似たようなゾクゾク感を醸し出している。形式的には変型的な3部形式(A-B-A')と見て取れるが、いずれもA'への回帰にその天才性が溢れ出る。決して押しつけがましくなく、聞き流そうと思えば聞き流せるくらいの音の重さ。でも魅力に摑まってしまった人にとっては、中毒性のある音の妖しさ。その「宝石」は一見目立つことがない。薄暗い部屋を静かな心で見るように聴いてみよう。きっとその発する光の強さに驚くだろう。
『鏡』はラヴェル30歳の頃の作品で、5つの小品から成っている。
第1曲「夜の蝶」
第2曲「悲しき鳥たち」
第3曲「洋上の小舟」
第4曲「道化師の朝の歌」
第5曲「鐘の谷」(10クラ第27回「芸術界のアパッシュ」でも取り上げています)
表側の表現はこの題名のままと思う。ここに裏側の表現を加えてみる。
「夜の(街で孤独に舞わなくてはならない運命を背負った)蝶(のように見られ扱われていく女性)」の哀しみ―
これを今回のテーマとしたい。
ラヴェルは女性関係に対して極度の潔癖症を持っていたと言われている。身なりもいつも洒落て紳士、まさに絵になるフランス人といったところだろう。交友関係においても、広く浅くよりは、狭く深くを好んだ。友人を大切にしていたであろう様子は、後期の作品群によっても想像することができる。浮ついた噂など立つことのなかったラヴェルだが、あるときふと目にした娼婦の物憂げな表情を忘れることができなかったという。娼婦といっても、この時代はキャバレーだけでなくバーやカフェの店員であっても、いわゆる常連の「相手」になることも多かったようだ。そのような女性たちを、男性であったラヴェルは手を出すわけでもなく、繊細に心模様を感じ取り作品に起こしていった。これほどまでに美しく、そして哀しく。
薄いヴェールを纏う女性を、夜の蝶と見立てて描いたこの作品は新進芸術家サークル「アパッシュ」の仲間、詩人のファルグヘ献呈されている。ファルグの詩には「小屋から小屋へと、街灯を結ぶように、ぎこちなく舞う」というものがあり、ラヴェルはこの一節もこの作品に絡めている。
「ぎこちなく」点々としていかなくてはいけなかった女性は、明るく温かいはずの街灯に照らされてこそ悲しかったかもしれない。闇夜に紛れて見過ごされていくひとつの哀しみを、研ぎ澄ませた陰影と色彩で記してくれたことに、人として感謝したい。
2022年4月22日配信
収録曲
♫モーリス・ラヴェル:『鏡』より第1曲「夜の蝶」
オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」
演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)
プログラムノート
その音響は、水面のなかの自分、または鏡のなかの自分の、また更に目に映る自分―を永遠と覗きこむような、歪んだ時空を連れてくる。水や鏡といった神秘性にはある種の怖さもありながら、解明されきることのない魅力が潜んでいる。
巧みな文筆家はさりげない筆で驚くほど腑に落ちる表現を残していくが、ラヴェルの『鏡』はそれと似たようなゾクゾク感を醸し出している。形式的には変型的な3部形式(A-B-A')と見て取れるが、いずれもA'への回帰にその天才性が溢れ出る。決して押しつけがましくなく、聞き流そうと思えば聞き流せるくらいの音の重さ。でも魅力に摑まってしまった人にとっては、中毒性のある音の妖しさ。その「宝石」は一見目立つことがない。薄暗い部屋を静かな心で見るように聴いてみよう。きっとその発する光の強さに驚くだろう。
『鏡』はラヴェル30歳の頃の作品で、5つの小品から成っている。
第1曲「夜の蝶」
第2曲「悲しき鳥たち」
第3曲「洋上の小舟」
第4曲「道化師の朝の歌」
第5曲「鐘の谷」(10クラ第27回「芸術界のアパッシュ」でも取り上げています)
表側の表現はこの題名のままと思う。ここに裏側の表現を加えてみる。
「夜の(街で孤独に舞わなくてはならない運命を背負った)蝶(のように見られ扱われていく女性)」の哀しみ―
これを今回のテーマとしたい。
ラヴェルは女性関係に対して極度の潔癖症を持っていたと言われている。身なりもいつも洒落て紳士、まさに絵になるフランス人といったところだろう。交友関係においても、広く浅くよりは、狭く深くを好んだ。友人を大切にしていたであろう様子は、後期の作品群によっても想像することができる。浮ついた噂など立つことのなかったラヴェルだが、あるときふと目にした娼婦の物憂げな表情を忘れることができなかったという。娼婦といっても、この時代はキャバレーだけでなくバーやカフェの店員であっても、いわゆる常連の「相手」になることも多かったようだ。そのような女性たちを、男性であったラヴェルは手を出すわけでもなく、繊細に心模様を感じ取り作品に起こしていった。これほどまでに美しく、そして哀しく。
薄いヴェールを纏う女性を、夜の蝶と見立てて描いたこの作品は新進芸術家サークル「アパッシュ」の仲間、詩人のファルグヘ献呈されている。ファルグの詩には「小屋から小屋へと、街灯を結ぶように、ぎこちなく舞う」というものがあり、ラヴェルはこの一節もこの作品に絡めている。
「ぎこちなく」点々としていかなくてはいけなかった女性は、明るく温かいはずの街灯に照らされてこそ悲しかったかもしれない。闇夜に紛れて見過ごされていくひとつの哀しみを、研ぎ澄ませた陰影と色彩で記してくれたことに、人として感謝したい。
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クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。
深貝理紗子
https://risakofukagai-official.jimdofree.com/