第19回　日常に溶け込んだ異次元

2021年9月10日配信

収録曲
♫エリック・サティ：グノシェンヌ第1番

オープニング…サティ：ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル：『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」

演奏＆MC：深貝理紗子（ピアニスト）


プログラムノート

時を刻む目盛りが無ければ、私たちはどんなふうに生きているのだろう。
時という目盛りに追われていることもあれば、その目盛りの重なりに救われることもあるだろう。

一度生まれた音は二度と繰り返されない。
同じ音を弾いても、まったく同じクローンが生まれることはあり得ない。
命あるすべてのものと同じである。

音は時とともに流れ、消えてゆく。

時計のように刻みを示すひとつの要素、「小節線」―
グノシエンヌ第1番には、それが存在しない。

時計を忘れた日、自分はこんなにも腕時計を見ていたのかとびっくりする。
こんなに慌てなくて良いのかもしれないと思いながらも、不安を抱いてしまう。

目安となるものが取り払われた瞬間、自分はどんな一歩を踏み出すだろうか。
グノシエンヌの一歩は、それと似ている。

これを弾くとき、弾き手には「思考」という最大級の理性を持ちながら、「無」の幻想性と不気味が課されている。

サティは「家具」のような音楽を提唱しながら、流れ作業のように「変わらない日常」を過ごすことへ一石を投じるような作曲家である。

日常は、無二のものであること。
世の常が、常ではないこと。
そんな悟りさえも思わせるようである。

実は溶け込んでいる異次元、とは何だろうか。
見落としているもの？
心のどこかに置き忘れたもの？

或いは現実から自由に離れる術を手に入れることかもしれない。
自分の心は自分にしか守れないものであるから、私たちはその平穏と無事のために、いつでも飛躍できる空間を用意しておくべきだろう。

私にとって、音楽はひとつの「逃げ場」だった。
ここにいれば、自分は自分でいることを許してもらえる。
そんな感覚があった。
その「心の逃げ場」を手放せない人たちが、音楽と生き続けている。

サティの音楽は、刺激を受け付けられない時にはとても優しく、刺激がほしい時にはとても挑発的だ。
つくづく、不思議な人だ、と思う。