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【時評】教養的貧困ー「葦」としての尊厳の復興

教養的貧困 ―「葦」としての尊厳の復興


①酔い


 真の自由は制限のなかでこそ存在する。我々は常に制限のなかで「酔って」いる。酔いに気付きながら酔いを演ずる者と、酔いに気付かないほど何者かに呑まれた者と、一目ではわからない。


 「酔っていろ」と説いたボードレールは「酔い」という表現のなかで、大真面目に芸術の、人生の真価を語った。頽廃の空虚には人間の叫びがあった。コクトーはそれをこう表現した。

 「意識と無意識の融合」

であると。「カネ」を嫌ったボードレールと同様に、 コクトーも

 「金持ちになった貧乏人は贅沢な貧しさをひけらかす」

 と皮肉る。芸術を守り抜きたい精神と、商業主義の社会との摩擦は現代に至るまで悩ましい。


 フランス近代を生きた文化人は、隠喩を見分けられるような人材を渇望した。このくらいのことがわからないでどうする、というかのように。ストレートな言葉の羅列は彼らには無知と映っただろう。この尖った、そして哀しいエスプリは「サロン」を軸に幅広く浸透した。


 我々は今一度、この精神に立ち返るべきではないだろうか。少なくとも私は、この危機感とも似た一種の恐怖を、長年抱いてきた。

 智としての美、これを消し去ってはならないと提唱するのが文化人のあるべき姿だとしたら、そもそも文化人自体が「酔い」を演ずる者ではなく、ただ酒に呑まれた者と化してきている。 「酒」なるものは誘惑で あり、権力であり、多種多様の欲望である。


②サロン

第2次世界大戦を境に芸術文化の発展は大きく変貌した。

「余りに偉大な才能が出尽くしたからだ」

とも言われてきただろうが、現実的に言えばそれはサロンの衰退が大きな要因のひとつである。ここで言うサロンというのは、豊かな教養と知的好奇心、鋭い 洞察力を持った文化サロンであり、ただ表面的優雅を謳っている空間ではない。


 イタリアのメディチから始まった絢爛豪華な芸術サロンは、政略結婚を通じてフラン スへ入った。宮廷さえも野蛮な国であったフランスを洗練へと導いたのは、紛れもなくメディチである。そうしてフランス宮廷で育まれた文芸サロンは極めて先進的な思想を仰ぐ人材を育て、フランス革命を引き起こした。貴族の庇護を受けながら民主主義を試 みるという反逆が、芸術の中心地パリを生み出したのである。

 いち早く民主主義を勝ち取ったフランスには、各地で勃発する革命の難を逃れた亡命貴族が集まった。そこでまた、活動の場を求めて優秀な芸術家たちが育っていく。

 それまでサロンの中心であった 「言葉」は、革命と恐怖政治を機に「音楽」へと移行する。音楽のロマン主義時代は「宮廷お雇い音楽家」を脱した解放感と、音楽需要の広まった時代と一致して花開いた。それ以降、パリはいつでも芸術実験の中心地だった。人間が人間であるための、実験である。


③女性の活躍

 初期のブルジョワのサロンには、多彩な知識と教養を兼ね備えた女性たちが揃っていた。彼女たちは、男性社会のなかで生き抜く手段を知っていた。優秀な人材に目をつけ、 ある種の利用を行うことで、自分たちの夢を託したのだ。

 止む無く一線から離れた卓越 したピアニスト、プレイエル夫人を見ればわかることだ。クララ・シューマンの先駆け とも思えるほどに活躍していた稀有なピアニストである。

 彼女は結婚後、夫のピアノ製 造会社のために生きることを第一に強要され、演奏の場から身を引いた。後に彼女はそ こを離れて再びピアニストとして生きるわけだが、それまでの長い間、プレイエルの楽器とホールを利用して、まだ名声を獲得する前の駆け出しの若手演奏家たちに舞台を与え、支援をした。シューマンにリストにショパン、送り出した才能は余りにも輝かしい。 そのプロデュース力は現在見直されても良いくらい貴重だろう。


 サロン経営の女性たちは、世の中の情勢にも明るかった。時代を読みながら音楽家に作曲・演奏の場を与え、指導の場を与えた。指導の場を与える意義も大きい。音楽家たちの生活を支えると同時に、教育に力を入れて、文化を継承・発展させていく豊かな人材を生み出した。

 また、音楽家、詩人、画家、建築家、思想家、多くの人材が集まり相 互作用を起こす場が豊かにあった。それはすべて、サロニエールたちの粋な采配である。


④頽廃、ナショナリズムの復興


 ブルジョワが衰退してから台頭してくるのはサークル的なサロンだ。庇護という部分からはやや離れ、カフェやバー、キャバレーが溜まり場となる。

 文学や美術、音楽がより親密になり、深く知るほど壮大な総合芸術の紡がれていく時代である。それはナチスの政権下、パリにまでワグネリアンが溢れかえった頃でもある。

 ボードレールはその音楽を「海」という最大限の賛辞で書き立て、文字通り「酔った」。
 

 ここで新しくフランスに現れる構図が対ワーグナーである。音楽界では重鎮フォーレ やサン=サーンスを筆頭に国民音楽協会が設立され、フランスのバロック音楽の復興と 新進音楽家を発掘・育成しナショナリズムとフランス人としてのアイデンティティを取り戻す運動が活発化した。


 ドビュッシーは既に物心ついたころからワーグナーに熱狂したフランスで育ち、その表現を「あからさま」だとか「大袈裟」だと嫌悪した。ちょうど時代の流れと一致した考え方に、サティやラヴェル、プーランクが続いた。

 自分たちの音楽の原点とするところを、フレンチ・バロック、古代の神話、自国の文人、シュールな「現代」芸術に見出した。

 斬新な芸術実験を行うロシア(バレエ・リュスに代表される)も魅了した『牧神』 はマラルメ、また、神話に基づいている。半獣神(パン)という異世界への好奇心は独特な音世界に色を添える。ニンフ・シランクスを葦となるまで追い詰める強欲なパンの狂気を、なぜか官能的な美で満たしてしまう。

ここでまた、コクトーを引用しよう。


―芸術は醜いものを生み出すが、それは時とともに美しくなる。一方で、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる― 

 私がパンに恐ろしさを感じるのは、さらにその葦を刈り取って笛を作ることだ。マザーグースにも似たような話があったと思うが、その笛を自分のシンボルとしていつも 持ち歩くパンは、狂っているとしか言いようがない。シランクスに対する一方的快楽と 満足、自己中心的なエゴはまさに「醜さ」そのものである。そしてそれは薫るような音 楽とニジンスキの「酔う」ような振りによって、「美」に昇華している。


 戦禍が激しくなると、サロンに集うこともままならず、芸術家たちも表立った表現活動が不可能になる。戦争の影を落としたもの、囚われながら書いたもの、当局の監視から逃れるようにメッセージを隠して書いたものなど、痛々しい作品が増してくる。

 ウィーンから逃亡の最中も含め、新境地アメリカでのサロン主宰と芸術支援を行った「最後のサロニエール」と名高いアルマ・マーラーで、文化の灯はひとつの終焉を迎える。


 サロンの歴史を追うことは文化の流れを追っているとも言える。ここから、現代の日本の在りようを考察してみたい。


⑤精神


 これまで記してきたように、サロンはただの「容れ物」ではなくて、時代の先端を行く中身を大いに伴い、また、柔軟に対応してきたものである。

 できれば「サロン」と銘打つならば、このくらいの覚悟を含んでいてほしいと思うところだ。まずはっきりと言いたい。現在日本において、そのような土壌は極めて少ない。なんの実験も議論も成されないところを、果たして「サロン」と言えるのか、甚だ疑問である。


 「沈黙は闇」だと綴った文化人は数多い。「静」の美を称える日本では、良くも悪くも言葉を飲み込みがちに教育される。

 沈黙するべきところと発するべきところは、何を主張し何を守るのかによって変わりゆくものではあるが、まず学び続けなければ、そして出来る限り多様な経験を重ねなくては、小さな温室のなかでぬくぬくと“飼い馴らさ れて”生涯を終える。

 自らの置かれた状況に何の疑問を抱くこともなく、或いはこんな ものだと諦めることが癖になり、「闇」が闇でさえないほどに充満した社会が生まれる。

  日本は今まさにこの状況であり、ますます本来意味するところの「学び」を離れ、文化を必要とすることさえもせず、生活に直結するものばかりが流行る世の常に拍車をかけ ている。

 この状況を崩さないようにと割れ物に触るようにある種の「平穏」を維持しているうちに、個としてのオリジナリティが薄れ、思考という宝物に蓋をして、ただ平面 をできる限り転ばないように歩く、「人間」とは程遠い生命活動が成されている。


 どこが闇なのかわからないくらいに闇の蔓延する社会に一石を投じてきたのが文化人であったように、現代を生きる我々も、時代の風向きを読みながら説得力を伴う発信を行っていかなくてはならない。

 さまざまなメディアやアプリケーションの普及は、よ り多くの層を音楽へ惹きつけることを可能にする一方で、「精神」と言えるものが宿っ ていないチープな発信者と受信者の増加にも繋がりかねない。

 もっと言えば精神の宿らないところに文化は咲かず、発信側が「いま」必要とされる情報を提示し、さらにはその情報を受け止められるだけの器のある受信者がいなければ、豊かな精神活動は成り立 たず、教養の欠乏という点で深刻な貧困へと陥っていくのである。
 

 私は数年フランスで過ごすなかで、「日本人はどうして“同じ”を好むのか」と幾 度も問われた。自分という人間がせっかくいるのに、と。

 自分を表現することが当たり 前のフランス人と、“同じ”に無意識に染まり行く日本人とでは、文化云々の前に「人間」になる必要がある。

 同時に、“同じ”を好みながらも自分を守ることばかりを考え て「驕り」を抱いてしまう教養の無さには、貧しさ以外の何ものも見出せない。
 

 もともとイエスのために生まれたクラシック音楽は神への信仰心がある。ただの砂粒に過ぎない存在であり、与えられた命を生かすために苦悩するべき人間たちは、まずそれを受け入れて、小さいなりに思考を止めず人生を全うする義務がある。

 生きることは 権利というよりも義務である。だからベートーヴェンも遺書を書いた時点で「権利とし ての生」を手放して、「義務としての生」を生きながら多くの素晴らしい産物を遺してくれたのではないだろうか。

 ベートーヴェンの人間愛は普遍的なメッセージであり、個の欲望や利益に走ってしまう人間たちの性に強烈なインパクトを与え続ける。

 人間愛の精神を込めたプロコフィエフやショスタコーヴィチなども、その派手さや痛々しさの裏 側を汲んでこそ感動に至る。スターリン政権で破壊されていく個々人の尊さに祈りを捧げた作品群には、文化人としてのプライドが滲み出ている。 トルストイやドストエフス キーも不屈の文化人だった。その精神は、やはり神から来ている。

 「人間は他者の幸福 を祈り初めて幸福になる」(トルストイ)

と同じくらい、自己の幸福ばかりを貪る愚かさを辛辣に書き連ねる。

 そしてそれよりはるか昔から、人間の愚かさを書いてきた文化人たちがいる。

  ルソーの「人間の自然の状態」を表したこの文章など、今でも全く変わらぬ洞察力を感 じてしまう。


 ―自分の欲望だけを感じ、利益があると思うものしか眺めない。その知性は虚栄心と 同じように進歩しない。種は既に老いているのに、人間はいつまでも子供だ。―


 思想の相違は出てくるものの、「自然状態」から来る悲劇は再三発せられてきた。人間の本性として連ねられているホッブズの有名な「第一に競争、第二に不信、第三に誇 り」を思い出す。

 これが起こり得る所以はすべて人間の自身の快楽であり、保身であり、 利益であり、名声である。つまり聖書の言葉を借りたところの「驕り」「傲慢」とでも 言おうか。

 後の思想になってくると「幸福原理」の自他の幸福が発信されていくわけだが、ここでもなお個の傲慢さは否定される。


 現在の日本ではそのなかでも「保身」が大きいかもしれない。

 「自然状態」の方向性 が、たとえば暴動を起こすとか大規模の略奪を図るとかでないにしろ、自分の平穏のた めに敢えて沈黙することは私も含めて日常茶飯事だろう。

 しかし年々あまりにも「子供っぽさ」の増してくる日本において、このままで良いはずがないという危機感くらいはさすがに抱く。

 そこで必要なのはやはり「サロン」の精神を継ぐ知的文化空間であり、 なおかつ排他的空気を醸し出さない器の大きな居場所である。

 この居場所なるものは、極論もはやバーチャルでも構わないわけだろう。

 それこそ

 ー「存在しないあるもの」(ここでは「サロン」という物質的存在)

 を「存在するほかのもの」(バーチャルのコミュニテ ィ)

 で表現することは理にかなったものだー

 というデフォーの言葉を持ち出したくなる ような状況だ。

 新型コロナウイルス感染症による文化界のダメージは何も今に始まったことではなく、目に見える形で露呈されただけである。

 活動の場や発信の場がなくなったと言って離れていくような薄っぺらい行為に出るならば、もともとそのくらいしか足を踏み入れておらず、「どのような現状であっても常に人間としてあるべき精神活動を行う」という文化人的発想が無かっただけだろう。

 むろん理想論だけでどうにかなるほ ど、生活するということは甘くない。むしろ極めて厳しい。

 だが「ヨブ記」を読めばわ かるだろう。我々はどのような困難をも喜んで「義務としての生」を全うしなくてはな らない。


 日本という国自体が財源の少なくなっている今、文化に対する支援を手厚くすることは困難である。つまりブルジョワの「庇護サロン」に代わるようなものがこれから出て くる期待は全く無い。

 その状況であっても生活資金を生み出す方法と、商業主義に乗っかることのない本来あるべき芸術発信を続けていく方法をよく考える必要がある。

 そのために近代フランス文化人たちが集ったような「サロン」は今すぐにでも始められ、育てられていくべきだと断言したい。


 集客を頼りにどこへ行っても同じような面々の演奏会が行われているようでは、他に面白いアイディアがあっても見落としてしまい、新しいターゲットを作り出すこともできず、クラシック音楽界はどんどん覇気のない弱小分野となってしまう。

 もしホールやサロンを運営できる立場にいるなら、教養に基づいた新しさを生み出す試行錯誤をしてほしい。かつてサロニエールたちが人生をかけていたように、独自に人材を育てていく という熱意あるプロデュース力を見せてほしい。

 音楽家のほとんどがそうであるように 個人事業主として音楽をやっているのなら、音楽に興味のある一部の人だけでなく、世の中として何を求められているのか、歩み寄る努力を惜しんではいけない。

 音の裏側に隠された作品の意図を読み解くほど面白い世界は、足を踏み入れなくては勿体ない。

 これほどまでに「肉声」が残っている奇跡をもっと伝えていかなくてはならない。

「どうせわからない」などと馬鹿にしているようでは「敷居が高い」という一種の皮肉の餌食 となって、その確執はますます大きくなるだけだ。

 いわゆる「クラシック・ファン」でない人たちは、作曲家が身近に思えるようなエピソードや出来事、現代に置き換えたら という例えなどを少し話すだけで、目を輝かせて音楽に耳を傾けてくれる。

 その都度思う。

 広める努力を怠っているのは、狭いところでくすぶっている人たちなのだというこ とを。外へ目を向けているつもりで、実は何も見ていない固定観念に囚われた人たちの発するものなど、誰が聞いてくれようか。


 ここで危惧するのは、文化的産物ではなく、「自己」にスポットを当てることに躍起になる発信者たちだ。私はそのような発信者を「文化人」とは呼ぶことができない。

 「文化人」とは、あくまでも作品そのものを「自己」がなくなるほどに追求し、伝える責任と覚悟を得た者たちだ。

 聖書に散々書かれている「砂粒」たちは、この世で最も弱い「一茎の葦」である。

 イザヤ書に由来する「葦」をパスカルは「思考」という見えない世界、つまり精神世界において広大だと表現している。

 先に述べたように、葦はパンのトレードマークの笛でもあり、パンから逃れられなかったシランクスの身体は葦となったものの、その「精神」は決して冒されなかった。

 この屈することのなかった精神こそ、生きた証ではないだろうか。


 我々は目に見えるものばかりを求めてしまう。そしてそれこそが真実であると錯覚する。

 しかし見えるものばかりを追えば精神が進歩することもなく、自己の欲望に溺れ、 思考から離れた愚行を繰り返す。

 「制限」されたこの世の見えるもののなかで、我々は 「酔う」という精神的自由を与えられている。思考を手放すということは、人間として の自由を手放すということと同義である。

 そしてこのことを一番説得力を帯びて発信できる芸術は、音楽ではないだろうか。目に見えることのない音世界は、遥かなる精神世界への飛躍である。

 本当の自由がここにはある。

 精神の深みを持たない音の羅列はただの騒音、クラシック音楽のあるべき姿とは程遠い。
 

「生」の重みを感じるか否かも、ここにかかっているのだ。

 媒体を通してしまえば目 の前に存在するという重みを忘れやすい。だから悪い意味でのソーシャルメディア慣れが横行してしまう。

 しかし「見えない」「物質的に存在しない」世界での精神の広さと 偉大さを日頃から感じているならば、まず「生」の重みを忘れることはあり得ない。

 つまり、これだけメディア媒体やデジタルの普及した今こそ、精神的自由という教養をすべて含んだクラシック音楽の一種のトリックを、提示していくチャンスが訪れていると 言えるだろう。


 人はいつもどこかで「生」という重みとかけがえのない温度を欲している。

 クラシック音楽の作曲家たちは、各々孤独を歩んだ等身大の人間であった。その人間的な孤独に 触れるたび、温度も涙も苦しみも悲しみも、共感や共鳴として優しく響き浸透する。そうして心の機微、行間を感じることができる、豊かな精神活動が育まれる。

 人を動かすというのは大変なことである。ひとつの音楽に、ひとつの音に、もっと言えば音と音の間(それこそ音楽)に、どのくらい感動できるか。

 そのために必要な情報を多様なアプローチで発し続けるという地道で緻密な作業が必要とされる。

 注目されるべきは作品、 いつもどこでも、主役は作品である。その心持ちがどうも薄れているように思えてしまう。作品に迫るには、まず作曲者を知り、生き様や考え方を知り、その時々の状況を知 ろうと努力する。努力というか、知りたいと、もっと近づきたいと、自然と求めるもの だろう。影響を受けたもの、刺激を与えあったもの、時代背景や社会情勢、そのとき流 行っていたものや主流とされたもの...調べるほどに膨大な情報量が出てくる。

 踏み込んで追求し続けるなかで、発信するときにはコンセプトやターゲットに合わせて焦点を絞 って、「肉声」に近いテンションとエネルギーで向かう。

 このアプローチと工夫を、音楽現場で今一度見直す必要があるだろう。それこそ肩書や経歴に惑わされない確固たる精神と度量の大きさが、企画者や事業者に試される。

 受信者はそれこそ多種多様の生き方をし、考え方をし、それぞれの物事に精通しているのだから、発信側が乏しい知識では全く歯が立たないのである。


 「サロン」の精神を復興させ、「文化の実験」としての熱を取り戻し、「人間」として生きる義務と、思考という精神活動を活発化させなくては、本当に生ぬるい国となり、 先進と名乗った後進国になり、音楽だけでなく文化(本来の厳しさを持った文化)そのものが廃れかねない。

 未来の日本を担う若い層、子供も含めて、文化全般を実生活に近く感じられるような発信方法をも考慮しながら、教養的な土台を厚く重ねていかねばならない。

 そしてそれは微々たる歩みと見えるだろうが、根気強く続けるべきだ。受信する側の器も広げていかないことには横にも縦にも広がりようがない。発信側にも実直で柔軟な教育が成されなくては、継承はたやすく途絶えてしまう。

 時代を越えた普遍的な芸術を伝えるため、「いま」に適した方法を鋭敏に察知し対応していく能力も、教養的な土台の形成とともに必要である。

 その際に長いものに巻かれる必要はない。

 「義務としての生」という制限に基づいた自己の思考は、限りなく自由であるのだから。

 自信を 持って「酔う」覚悟さえあれば、その精神の真価が色褪せることはない。

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musiquartierーピアニスト深貝理紗子のミュジカルティエ
クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/