10クラ 第58回 遠くへ旅立った牧神へ
10分間のインターネット・ラジオ・クラシック【10クラ】
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第58回 遠くへ旅立った牧神へ
2023年5月25日配信
収録曲
♫ポール・デュカス:遥かなる牧神の嘆き
オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」
演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)
プログラムノート
自身にとってもフランス、音楽界にとっても大きすぎる影響を持っていたドビュッシーがこの世を去ってから、2年を経て本作品 "La plainte, au loin, du faune" は発表された。天才的でさまざまな面から世間を賑わし続けた異端児ドビュッシーと認め合う仲となったポール・デュカスは、対照的なほど慎重な歩みをしてきた。目立つ学生ではなかった彼は、自身の音楽的センスに嫌気を感じ、音楽を離れて従軍する。しかしながら、軍での「音楽愛好家」との出会いは大きく、再び彼に音楽人生を歩いてゆく勇気を与えられた。作品を発表するペースにはとことん時間をかけ、推敲を重ねる。音楽的な時事をよく見、鋭い筆を走らせる。
「誰にも人を救うことはできない。自由など重い。あるとするならば、自分自身を救う可能性だけだ」
挫折を知る彼の言葉は重いけれども、冷静で実直な目で世の中を見る人だ。
「鳥の声を聴くのが大切だ。音楽はそこにある」
これも有名なデュカスの言葉だ。彼を大尊敬する師と仰ぐオリヴィエ・メシアンは、代表作『アリアーヌと青髭』の公演後に興奮した手紙を送る。
「先生のような方にこの感激を伝えるなど失礼だと思います。でも伝えずにはいられない。そこには幸福しかありません。その色彩を、忘れることができません」
デュカスは19世紀を代表するドビュッシーと、20世紀を代表するメシアンに間違いなく大きな影響を与えている。その頃、フランスのオペラで人気作曲家と言えばマスネやビゼーがいたが、デュカスの『青髭』とドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』は衝撃的な創造物となった。そしてどちらも屈指の脚本家メーテルリンクが手掛けている。デュカスとドビュッシーの違いは、裏舞台でも垣間見えるようだ。メーテルリンクは愛人を持つなど奔放な恋愛遍歴があるが、なかでもオペラ歌手のジョルジェット・ルブラン(かの名小説家モーリス・ルブランの妹!)との関係は濃かった。しばしば、兄同様優れた文才を持つジョルジェットのアイディアを自身の作品に取り入れたり、時には兄モーリス・ルブランの言葉さえも自身の作品として取り入れてしまうような人物でもあった。このようなメーテルリンクは、新作があれば主役を必ずジョルジェットにするようオペラ座に取り計らっていた。だから当然『青髭』もそうだった。しかしドビュッシーはなんと、何の断りも入れず初演のメリザンド役を変更してしまう。それも、その美貌と類まれな実力から「オペラ界のサラ・ベルナール」と呼ばれたメアリー・ガーデンに。さすがドビュッシー、変に忖度もせず、自分の作品イメージのために「最善」と思うことをやってのけてしまう。メーテルリンクはこれに激怒しドビュッシーへ法的処置を突きつけるわけだが、そんなことはお構いなしだ。デュカスにはきっと、このような奔放な考え方はなかったのではないだろうか。どこか諦めているような、あるいは悟っているような人。
華やかなドビュッシーが去った後、デュカスは追悼を込めてなんとも物悲しい作品を描く。
La plainte,
au loin,
du faune...
この詩のような題名は何だろう。
悲嘆、
遠くへ、
牧神の…
詩人なら、どれほど忠実にこの表現を「表現」として汲み取り言葉としてくれるだろう。
仕方なく、この直訳的邦訳で記載をするけれど。
「遥かなる牧神の嘆き」
2023年5月25日配信
収録曲
♫ポール・デュカス:遥かなる牧神の嘆き
オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」
演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)
プログラムノート
自身にとってもフランス、音楽界にとっても大きすぎる影響を持っていたドビュッシーがこの世を去ってから、2年を経て本作品 "La plainte, au loin, du faune" は発表された。天才的でさまざまな面から世間を賑わし続けた異端児ドビュッシーと認め合う仲となったポール・デュカスは、対照的なほど慎重な歩みをしてきた。目立つ学生ではなかった彼は、自身の音楽的センスに嫌気を感じ、音楽を離れて従軍する。しかしながら、軍での「音楽愛好家」との出会いは大きく、再び彼に音楽人生を歩いてゆく勇気を与えられた。作品を発表するペースにはとことん時間をかけ、推敲を重ねる。音楽的な時事をよく見、鋭い筆を走らせる。
「誰にも人を救うことはできない。自由など重い。あるとするならば、自分自身を救う可能性だけだ」
挫折を知る彼の言葉は重いけれども、冷静で実直な目で世の中を見る人だ。
「鳥の声を聴くのが大切だ。音楽はそこにある」
これも有名なデュカスの言葉だ。彼を大尊敬する師と仰ぐオリヴィエ・メシアンは、代表作『アリアーヌと青髭』の公演後に興奮した手紙を送る。
「先生のような方にこの感激を伝えるなど失礼だと思います。でも伝えずにはいられない。そこには幸福しかありません。その色彩を、忘れることができません」
デュカスは19世紀を代表するドビュッシーと、20世紀を代表するメシアンに間違いなく大きな影響を与えている。その頃、フランスのオペラで人気作曲家と言えばマスネやビゼーがいたが、デュカスの『青髭』とドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』は衝撃的な創造物となった。そしてどちらも屈指の脚本家メーテルリンクが手掛けている。デュカスとドビュッシーの違いは、裏舞台でも垣間見えるようだ。メーテルリンクは愛人を持つなど奔放な恋愛遍歴があるが、なかでもオペラ歌手のジョルジェット・ルブラン(かの名小説家モーリス・ルブランの妹!)との関係は濃かった。しばしば、兄同様優れた文才を持つジョルジェットのアイディアを自身の作品に取り入れたり、時には兄モーリス・ルブランの言葉さえも自身の作品として取り入れてしまうような人物でもあった。このようなメーテルリンクは、新作があれば主役を必ずジョルジェットにするようオペラ座に取り計らっていた。だから当然『青髭』もそうだった。しかしドビュッシーはなんと、何の断りも入れず初演のメリザンド役を変更してしまう。それも、その美貌と類まれな実力から「オペラ界のサラ・ベルナール」と呼ばれたメアリー・ガーデンに。さすがドビュッシー、変に忖度もせず、自分の作品イメージのために「最善」と思うことをやってのけてしまう。メーテルリンクはこれに激怒しドビュッシーへ法的処置を突きつけるわけだが、そんなことはお構いなしだ。デュカスにはきっと、このような奔放な考え方はなかったのではないだろうか。どこか諦めているような、あるいは悟っているような人。
華やかなドビュッシーが去った後、デュカスは追悼を込めてなんとも物悲しい作品を描く。
La plainte,
au loin,
du faune...
この詩のような題名は何だろう。
悲嘆、
遠くへ、
牧神の…
詩人なら、どれほど忠実にこの表現を「表現」として汲み取り言葉としてくれるだろう。
仕方なく、この直訳的邦訳で記載をするけれど。
「遥かなる牧神の嘆き」
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クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。
深貝理紗子
https://risakofukagai-official.jimdofree.com/