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がん体験備忘録 #24 肝臓がんからの鬱④~休職まで その2

ふと、なぜこんな読んで楽しくないこと、一番つらかった時のことをつらつらと書きたいのだろうと考えた。

一番の大きな理由は

鬱の時の思考や行動は、その人本来のものと大きくかけ離れたものになることを記しておきたい

から。

もしも周囲に「いつもと様子が違う」「思考がその人らしくない」という人がいたら、不眠や鬱傾向を疑いたい。「考え方」や「性格」の問題ではないこともある。

早朝の車山高原…深呼吸深呼吸!

休職する直前は、仕事もかなりつらくなっていた。

1 春休み

 春休み。本来であれば一息つけるこの期間、私の鬱(? 不眠?)は一気に悪化した。
 新学期からのことを考えると動悸が止まらない。もちろん眠れない。
 ちょうどこの年の新学期から、私は職場で、それなりに責任のある立場になることになっていた。
 怒涛の新学期。するべきことは山ほどあり、それらをこなさなければいけない。皆に指示を出さなければいけないし、尋ねられたら答えなければいけない…

そんなこと、今の自分にはとても無理!

 立場に見合うだけの働きができない。周りからは呆れられるだろう…(どうにかなるといつものように楽観的に考えられないのが既に病気)

 考えると、ますます動悸が強くなる。漠然とした不安がうずまくが、もはや自分の考えや思いを整理する力も分析する力も残っていなかった。病気に対する不安はどこかに行ってしまい、眠れない辛さと仕事への不安が募るばかり。

2 迎えた新学期

 4月の2日か3日あたりだったと思う。どうにもたまらなくなり、2月にかかった心療内科に予約なしで飛び込んだ。診療枠が全て埋まっており、翌日の予約をして帰宅。 

 学校では、同じ立場のN先生が、次々と皆に指示を出し仕事をこなしてくれる。ありがたいと思う一方、何もできない自分が情けなくてたまらない。
 自分の状況を説明する事もできなかった。周りはおそらく、あまりに動かないので不思議に思うか呆れていたか… 
 しかし、優しいうちの職場のみなさんは、何も言わずにいてくれた。

 入学式。保護者が次々来ても案内できない。隠れるように「私に話しかけないで」と祈りながらそこに居るだけの入学式だった。

 心療内科では改めて薬をもらった。

3 頭がはたらかない

 怒涛の新学期の事務仕事。おそろしく時間がかかる。この時は、

 仕事量が能力を超えている
 自分の能力不足

と思っていた。そして、「こんなに能力がないのに、この仕事を続けるのは無理=やめるしかない」と思っていた。

 仕事の一つに、「補習教室の整備」があった。大小様々なサイズの机椅子を運びこむ。私は、皆に運んでもらう机椅子のサイズ別の数を洗い出そうとした。

 「今ここにある〇号の机が〇個 新たに入れるのは〇号が〇個…」

 今ある数、必要数、運び入れる数を表にして書くだけだ。なのに…

  こんな簡単なことができない!

 何度やっても、何度数えても分からなくなる。
 結局1時間くらいそこにとどまり、まがりなりにも数を出した。

結果…

 作業日、私が出した数は間違いだらけで、結局皆があっという間に必要数を整備してくれた。情けないことこのうえなし。

「お前は一体何をしていたんだ(by 自分)」

ちなみに元気になった今、あれほどできなかったことは「異常」だったと分かる。

4 校舎内を徘徊する

 動悸がするので、じっと落ち着いて座っていることがつらい。
 集中して机に向かえない。何をすればよいか分からない。
 とりあえず職員室から4階の音楽室まで行く。
 音楽室に着く。何をすればよいか分からない。何もできない。
 また職員室に戻る。

 こんなことを、一日に3~4回(いや、もっとかも)はやっていた。
 やらなければいけないことは

授業の準備

できていれば

帰る

簡単なことではないか!!!

4月半ばから下旬ころ。この徘徊はピークに。誰も見ていないところ(階段 廊下 音楽室など)でムンクの「叫び」のスタイルで「どうしよう どうしよう」と声に出しながらウロウロしていた。

ホントのことです。

5 やっとの思いでの授業

 それでも、「子供達には異常を悟られまい」とどうにか授業はこなした。新年度、休職までの間に授業をしたのは各学級5~6回程度。ばれないギリギリだった。
 しかし、「これ以上やったら、子供の前で叫び出しそう」と危険を感じた。子供を帰した瞬間、音楽室で座り込んだ。

 本校では5月末に運動会が予定されており、6年生が簡単な隊形移動をしながら鼓笛演奏をする種目が恒例となっている。
 GW明けからの休職を決めると、その後は講師のN先生が後を引き継いでくださることになった。(時々N先生の音楽室に行っては「きつい」と言って、しばらくぼーっとさせてもらっていた。この時も無言。)

 隊形を一通り教えるところまではしておこうと、N先生立ち会いのもとどうにか最後までこなした。
 終わった瞬間N先生が、

「よくがんばった。おつかれさん。あとは大丈夫。分かったよ。」

と、私が持っていたキーボードをさっと持ってくれた。
 この時の安堵した気持ちを思い出すと、今でもありがたくて涙が出る。

 こうしてGW明けから再び仕事を休むことになった。
 肝臓を見てもらっている病院で「がんの再発の治療のため」の診断書をもらっていたが、諸事情により心療内科でもらった診断書を使った。(診断書に書いてあった病名は、今でも不明…((+_+))

 ここまでの経緯の中で、管理職の校長先生や友人には本当に助けられた。次回はその話。

♯鬱
♯不眠
♯休職








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