霊性から全てを見直す
科学文明が発達してくると、今度は人間が神に成り代わる。
確かに、交通から経済の発達、工業、機械類の進化が全てに見えてきて、目に見えない宗教、神仏の存在は虚像に思えてくる。
文武両道という言葉があるが、霊性と合理性を融合させられないのか?
合理性、即ち三次元的、この世的な見方では片手落ちである。
世界の意味を説明できない、自分の存在意義も分からない、愛の定義も分からない。何のために生きているかも分からない。
一方、少なくとも何らかの信仰観、程度の差はあれ目に見えない概念、霊的なるものを認める価値観に立つ場合は、それぞれ違いはあれど、広い意味で肯定的な哲学を持ち、生きる原則を持ち、他者に対する真なる愛を持つことも出来る。
ポパーという思想家は、プラトンは、世界をイデアだの霊的なるものなどのでっちあげにより狭い世界に閉じ込めた、と言ったらしいが、それは逆であって、狭いのはニーチェなりポパーなり、マルクスなり、他の現代思想家、唯物論者である。
彼らにはソクラテス、仏陀、イエスまたはダ・ヴィンチでもベートーヴェンでもゲーテでも、聖人の及ぼした世界への貢献を再現することは出来ない。
これからは、全てを発展と神秘性、霊性と科学の面から融合していくことだ。
私は音楽家なので、音楽の歴史と現在と未来を、霊性というキーワードを元に考え、追及していきたい。
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