衒学を排すること
今更ながら、方法と目的を一度きっちりと分けて考えなおしてみることが大事だ。
学問、政治、思想、音楽然りである。
学問は現実的、もしくは精神的付加価値を、個人だけにとどまらず広く社会に生み出しているのかどうか。 ふるいにかけたら消えてしまうものも少なくないのでは?
学問のための学問になってしまっては、自縄自縛的にもなりかねず、「一体何のためになるんだろうか?」と関係のない人たちから思われる。
音楽もあまり衒学的にならないほうが良い。 クラシックも現代もポップスも関係無いのだ。 普遍かつ、質においての高みを有すること、すなわち精神的に価値の高いものを純粋に素直に産んでいくこと。
専門家は技術に溺れて、ドツボに嵌っていく。 気づいて抜け出し、関係のない人たちから見た視点、外の世界から達観できたものは幸せだ。 それが信奉者の獲得に始まり、音楽が生きた仕事となり始める。
かくいう私も、以前より自分で縛りが取れてきて、楽だし、より物事を正しく見れている気がする。 音楽にあまり技術だの分析だの、音楽学的体系的など、杓子定規に当てはめすぎない、方がよい。 それらが寄与する分野もしっかりとあるはずだが、音楽の身動きを封じ、首を絞殺しかけていることも目にする。
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