何かを書きたいと思ったときに書くことができる環境
ずいぶんと書いていなかったのできっと書きたいことに向かって書くには宇宙に行くくらいの距離がある。それでも書かないよりは書いた方が宇宙には少しでも近づくことはできるだろう。そういう意欲を忘れてはならない、それは生きている限り。
調子が悪いので運動に頼っている。もしかしたら調子が悪いのが常態なまま年を重ねていくのかもしれない。調子が良い時のことはもう思い出せないのか?それは身体に聞いてみるしかない。なので運動を続ける。思考を放り出して泳いで走る。スポーツクラブに入会したので泳いでいる。できたら行くたびに1㎞。骨伝導のイヤホンが良くて、そんなに苦にならない。加えてランニング。身体をくたくたにさせたい欲求を感じている。
多くを考えなければと思う反面、そこまで多くを考えることは難しいということもわかっている。やれることをやる。それで一日は見事に過ぎ去っていく。そういえばよく文章を書いていた。当時と速度が違う。なんか、早い。早いからこそ、ゆっくりした時間を過ごすことを欲しているのかもしれない。散歩を重ねる。季節を感じるようにする。そういうのがきっと好きなんだな。
いろいろやって結局は、ゆくべきところにゆき、収まるべきところに収まり、やりたいことをやる。多くに着手したから(とはいえまだまだ足りないけれども)、それでもやっぱり残された時間は限られている。心の赴くまま自由なまま、その声に耳を傾けやりたいようにさせるのがいちばん自然であり、今までもだしこれからもそうするだろう。やりすぎれば不調になるし、やらなすぎても乾いてならない。なにかをしたい、よりよくなりたいと思うのが常態なのだろう。飽き足りず、満たされることが無いままで過ごしていくのだろう。
ということを、今の足元を確かめるためにも書くことが大事と思えてならないので久々に書いてみた。たいしたことを書くことはできない。そして読み返すこともなさそうだ。乱雑で勝手なものだ。しかし時にそうやってぶわぶわと思うがままのことを体外に放り出すのは良さそうだ。