【ドラゴンのエッセイ】100人に1人くらいは

 俺のように、肢体不自由だけを持って生まれてくる障がい者は珍しいらしい。ある統計によると脳性まひ(俺の病名)の人で知的障がいも併発している人は、脳性まひ患者全体の8割にも達するようだ。
 ここで何が言いたいのかというと、脳性まひの患者はほぼ確実に知的障がい者だと思われている、ということだ。そして実際のところ、その認識は正しいと言える。
 例えば就労支援施設に行っても、5歳児のような扱いを受ける。施設長やスタッフさんにちょっと敬語を使っただけで「すごいね!」と狂喜乱舞される。与えられた仕事を淡々とこなそうものなら、「よっ!日本一!」くらいのテンションで褒め称えられる。俺からすれば、就労支援施設で働く以上当然のことだと思うのだが、大人たちは違うらしい。
 読者の皆さん、ぜひ自分に置き換えて考えてみてほしい。普通に仕事をこなしただけなのに、蝶よ花よとおだてられたら気持ち悪くないだろうか? 何か面倒ごとでも押し付けられるのではないかと警戒する人すらいると思う。
 しかしこれらのことは俺にとって、日常茶飯事である。今は基本家にいるのでそんなことはないが、施設に通っている時は毎日のように猫なで声を浴びせられた。学生時代もそう。俺が他人を信用できなくなった理由のひとつは間違いなくこれだろう。

 それでもたまには、障がいではなく俺という人間そのものを理解してくれようとする人もいる。俺の親友Nさんのように。そうやって友だちができたことを担任の先生などの大人に話すと、決まってこう言われる。
100人に1人くらいは、あなたのこと分かろうとしてくれる人がいるから大丈夫
 前向きな言葉のように思えるが、よく考えるとそうでもない。
 分かろうとしてくれる人が100人に1人くらいしかいないなら、他人と関わると99%傷つくということだからだ。
 特に俺の場合、関係を築く多くの大人は介助者である。人間的に合わなかろうが、罵詈雑言を浴びせかけられようが、逆に気持ち悪いほどおだてられようが黙って耐えるしかない。間違っても腹を立ててはいけない。介助者の機嫌を損ねるということは、生活ができなくなることに直結するからだ。

 では、罵詈雑言を浴びせてくるような人と出会ってしまった時にどう対処するのか? 健常者ならばその人から離れるという選択肢があるが、前述のように俺たちはそうもいかない。
 なので、感情を殺す。これが一番単純で、実行に移しやすい策だ。感情を殺して、とにかく介助者に不快を与えないようにふるまう。「こいつは従順だぞ」と相手に思わせられれば俺の勝ちだ。
 しかしこの策には難点がある。いずれ絶対に限界がくることだ。俺だって人間だから、ある瞬間に突然爆発する、ということはある。ぶっちゃけると、今まで通っていた施設を辞めた理由もそこにある。感情の限界がきて爆発する前に、なるべく穏便に済ませようとした結果なのだ。

 この頃、俺の考え方がおかしいのではないかと思うことがある。「障がい者」という時点で、ある程度のレッテルを貼られることは覚悟すべきなのだろうか? と。だとしたらもう他人と関わらない方がいいのかもしれないな、とかね。
 出来ないことは健常者より多いかもしれないけれど、それだけで幼稚園児扱いされたり、罵詈雑言を浴びせられたりすることは、本来あってはならないはずだ。しかし、生まれて24年間色んな人間と関わってきたが、残念ながら前述のようなタイプがほとんどだった。だから俺は未だに、親友のことでさえ完全には信頼できないでいるのかもしれない。
 この差別意識を今さら是正しようとしたところで、もう不可能なのは俺も十分理解している。
「障がい者はどうあがいても差別されるものだ」と割り切ってしまう方が楽なのかもしれない。
 それでも他者との繋がりを求めて、親友とはずっと仲良くいたいと思ってしまう俺である。
 間違っているのは社会だろうか? それとも、俺なのだろうか?

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