【ドラゴンのエッセイ】コンプレックス

 これから書くのは、吉川晃司さんと布袋寅泰さんの伝説のユニットの話ではない。
 ……さて、同世代には絶対に伝わらないボケはこの辺にして本題に入ろう。今回のエッセイは久しぶりに障がい者ゆえの苦悩を書く。
 俺にはコンプレックスがある。と言っても、障がいがあってうまく体が動かないことではない。それは幼少期に受け入れたから、多少心ないことを言われても平気だ。

 このコンプレックスは、成人してから芽生えた。
 就労支援施設で働けているうちはよかった。人とは違う方法かもしれないけれど自分も社会に参加しているという意識が持てたから。問題は施設を辞めて、メンタルバランスが崩れてからだった。
 いわゆる引きこもりに近い状態になった俺は、SNSの世界に助けを求めた。すでに親友のNさんとはメッセージのやり取りをしていたから、SNS上で新たに友人を作ることは難しくなかった。今でもやり取りを続けてくれている友人も複数いる。

 と、ここまでなら素敵な話だ。しかし俺はあることに気づいた。
フォロワーさんはみんな、何かしらの形で社会に参加している
 学校に通っていたり、会社で働いていたり。当たり前の事実なのだが、俺は狼狽えてしまった。なぜなら俺は今、引きこもりだから。俺のコンプレックスとは、「自分は社会に参加していない。大人なのに社会人じゃない」ということである。

 このエッセイ企画でずっと「働きたくないわけではない」ということを書いてきた。今もその気持ちに変わりはない。しかし現実は厳しくて、障がい者を受け入れてくれる場所であるはずの相談支援事業所や就労支援施設でさえ俺のことは毛嫌いしているようなのだ。「よう」と書いたが、母がいる場所でも露骨に態度で示されるので、はっきりと厄介者扱いされていることは事実だと考えるしかないようだ。
 それでも労働意欲はあるから、いくつかの施設を見学、体験していた時期もある。けれどもすべての施設で、通うまでには至らなかった。そうなると相談員さんの方も紹介しづらくなってくるのだろう。ここ1年くらいは新しい施設を見学してみますか? という話すらこない。それどころか相談員たちも俺のことは邪魔者だと思っている。
 こうなってくると母ともども急激なスピードで人間不信が加速していく。今の俺は、ゼロから新しい人間関係を構築するのが難しいくらいの状況になってしまった。

 そうなると数少ない俺の(俺たちのという言い方でもいい)理解者はNさんをはじめとするフォロワーさんたちだ。ずっとやり取りしてくれている方も複数人いてくれる。すごく嬉しいのだけれど、特にNさんとやり取りしているとき、ふと考えてしまうことがあるのだ。
「友だちでいたいということ自体が、俺のわがままでしかないのかもしれない」と。昔のやり取りを見返すと、自分がひどく幼く見えるときがある。こっちは(言い方は悪いが)暇で、出口の見えない暗闇を彷徨っているような感覚で毎日を過ごしている。一方Nさんは、毎日ちゃんと仕事をしていて、自分で稼いだお金で生活している。俺からしてみれば、それだけで充分尊敬に値する。だって、俺にはそれすらできないから。

 働いているNさんと、無職かつほぼ引きこもり状態の俺。こんな俺があなたの友だちでいいのか? と結構な頻度で思う。
 だがそういうメンタルの時に限って、Nさんとスムーズなやり取りができたりする。おそらく本人にはそのつもりはないだろうが、心の栄養になる言葉をくれたりする。その度に、自分は間違っていたと気づかされる。本当に俺は友人に恵まれたなと思う。

 最後は結局友人へのラブレターになってしまったが、こうして俺の中に渦巻くネガティブを発散できたことで少しだけ心が元気になった気がする。
 こんなことを前にも書いた気がするが、とりあえずはNさんとのカラオケデートを目標にして生きていこう。いつになるかわからないけど、その方が頑張って「生」にしがみつけそうなきがするし。

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