日常を語る 第2回 誕生〜保育園卒園

こんにちは!
ドラゴンです!
「日常を語る」第2回は、幼少期を語っていきます。
ぜひ最後まで読んでください。

誕生

さすがに生まれた瞬間の記憶はありません。なので母から聞いた話をまとめると、「母の胎内で溺れたから脳性麻痺になった」ということでした。
そもそも脳性麻痺というのは、脳からの命令が筋肉にうまく伝わらない、というものです。私の場合、溺れてしまって脳に酸素がいかなくなってしまったことがきっかけらしいです。
その後、保育園には普通に入りました。周りは健常者ばかりだったのですが、この時はまだ、自分が障がい者であることに気づいていません

保育園での生活

健常者の中に、障がい者が1人だけ。絵に描いたようないじめの標的ですよね?私には、私だけの担当の先生がいたんです。どこへ行くにも先生が付き添ってくれたし、みんなで何かする時も私の隣には常にその先生がいてくれました。
なのでしっかりいじめの標的になっていたようです。他の子たちからすると先生を独り占めしているわけですからある意味当然です。しかし私は、いじめられていることに気付いていませんでした。単純に鈍感だったというのもあると思いますが、今考えると女の子たちに守られていたんだと思います。
私の周りには常に誰か女の子がいたんです。それだけははっきりと記憶にあります。休憩や昼食の時間は、女の子のグループに混ざっていました。きっといじめっ子からガードしてくれていたんだと、今なら分かります。10年以上経ってそれに気付いた時は、悔しくて涙が出そうでした。今ではこの時期を人生最大のモテ期だったとポジティブに捉えています笑

いきなりの手術

というわけで、保育園生活をそれなりに楽しんでいた私ですが、この時期一時的に保育園を休んで手術をしております
アキレス腱を伸ばす手術です。強い緊張が少しでも改善されることを目的としたものでした。この手術は、一生で3回しかできないものです。ちなみに手術は成功し、これ以降手術はしていません
術後は胸から下をギプスで覆われて、しばらく寝たきりで生活していました。と言ってもこの頃の記憶はほぼありません。布団に寝ている状態で、ポケモンのビデオ(当時はVHSでした)を見ていた記憶はなんとなくありますが笑

手術後の生活

寝たきり生活が半月ほど続いた後、今度は膝から下だけのギプスをつけてまた半月ほど生活しました。合計1カ月ほどギプスをつけていたことになりますね。
その後は術後入所といって、手術を受けた病院でリハビリを受けました。足のストレッチだったり、少し経った頃にはつかまり立ちの練習をしてみたり。「入所」なのでもちろん、病院で暮らすわけです。4歳にして、親元を離れました。しばらくは、泣き通しでした。
嫌な記憶ほど長く感じるというのは本当らしいです。私の中では半年くらい入所していたような記憶なんですが、母によると実際は1カ月くらいだったそうです。その後は保育園に戻り、また普通に通っていたらしいです。

次回予告

ここまで読んで頂きありがとうございました!
記憶のない部分は母に確認をとりつつ書いてみました。私が間違って記憶、認識していることも多く、正確な情報をくれた母にはとても感謝しています。
今回も少しは、みなさんのお役に立てたでしょうか?
さて次回はいよいよ、学校に入ります。私が障がい者であることをはっきりと認識した場所です。
ですが入学前に、ちょっとした嬉しいサプライズが!?
更新は来週中の予定です。ご期待ください!
以上、ドラゴンでした!


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