「崩壊するマイセルフ」第3話 真相

1

『僕が篠原美月を毒殺しました。それは間違いありません。
 ただ、僕は彼女を殺したいと思ったことはありません。彼女もまさかこんなことになるとは思わなかったはずです。
 古田さんと今西さんでしたね。お2人は僕の行為に疑問を持っているようだ。犯人さえ捕まえられればそれでおしまい、という考えは持っていないと信じて、僕が生まれてから今日までの全てを明かしましょう。到底信じられない話だと思いますが、僕がこれから話すことが真実です。』
 古田と今西は山下亮の供述調書を作成するため、録画した映像を見ていた。もちろん本人に許可はとってある。正直なところ今西は、彼の話を鵜呑みにはできないと感じた。しかし古田は、山下の話を立証するべく、彼の人生を追体験するようなコースを辿った。

2

 山下亮は茨城県に生まれた。生まれつき四肢に麻痺があった、と本人は供述した。生まれてすぐ脳に異常が見つかり、専門の病院で精密検査を受けたという。当時山下を担当した医師からも確認が取れた。
「山下くんには運動機能以外の麻痺はありません。素人に分かりやすく言うなら、知能は至って正常だということです」医師は断言した。

「身体障がい者であるということは、僕からすれば個性のひとつです。目が大きいとか、背が低いとか、太りやすい体質だとか。多少ネガティブなイメージを持たれやすいですが、そういう個人の特徴の一つだと今でも思っています」
「あなたは強いんですね」古田が呟いた。すると山下は微笑んでこう続けた。
「今の世の中、精神論だけじゃどうにもならないことの方が多いですよ」

3

 最初の理不尽が彼を襲ったのは小学生の頃だった。
 小学生ともなれば、拙いながらも意思というものが芽生えてくる。それをよく思わなかったのが父親だった。
「それが俺たちの助けがなきゃ生きられないやつの態度か!」息子を毎晩のようになじっては、暴力を振るっていた。「こんな子どもなら、俺はいらなかったんだよ」というのが、父親の口癖だった。
「お前もお前だ。こんな子ども、さっさと施設に預けちまえばいいんだ。俺が会社でなんて呼ばれてるか知ってるか? 『ヘルパー』だよ。ついこの前に資料管理部に移動になった。残業も接待もないからお前にはぴったりな部署だってさ。全部こいつのせいだ。このクソガキのせいだ!」母も毎日こんなふうに怒鳴られていた。
 母と2人で新たな生活を始められれば、まだ救いはあったのかもしれない。しかし山下の母はアルバイトしかしたことがなく、障がい者の子どもを1人残して働きに出ることなど考えられなかった。そうなると父の稼ぎを頼る他に選択肢は残されていなかった。

「学校には通っていたんですよね?」
「ええ。小学校から高校までしっかりと。一応一般の教科書を使った授業を受けていました」
「すみません。部下はこういうことに詳しくないんです。今西くん、失礼でしょう」古田が怒った顔を、今西は初めて見た。
「特別支援学校と言ってね。障がい者にもきちんと教育を受けさせてくれる学校があるんだよ。ただ、放課後の面倒まではみてくれないけどね」
「母が悩んでいたのもまさにそこでした」山下は表情を曇らせた。「デイサービス等を使えば夕方までは大丈夫なんですが、夜となるとそうはいかなくて」
「いまだに根強い差別もありますしね」
「同級生にもいました。親が夜の仕事をしているからっていじめられてるやつが。それを母に話してしまったのが失敗だったかもしれません」
 結局山下が中学生になる頃に父親が姿を消したのだという。母もそれ以降働き詰めで、彼が高校を卒業するのとほぼ同時に亡くなっている。
「僕は大人になると同時に、孤独になりました。そんな頃です。あいつが現れたのは」

4

 山下は卒業式の翌日から、「フラワー」という就労支援施設に通い始めた。施設側は「4月からで問題ない」と言ったらしいが、山下自身がそれを希望した。
「家にいてもずっと1人なので。こうやって賑やかな場所にいられた方が気も紛れますし」こんなふうに言われては、無下に断るわけにもいかなかったと施設長は話した。
「でもね、亮くんはここに通うことで結構傷ついていたと思います。うちに限った話じゃありませんが、新しい利用者が入ってくるとあるんですよ。言うなれば品定めの期間というものが」
 施設長によれば、例えばスタッフが新人ばかりを優遇しないか、新人は自分たちのことをバカにしないかなど、彼らなりのチェック項目があるらしい。
 そして山下は、利用者仲間のチェックをパスできなかった。

 そうやって山下は、本人も気付かぬうちにストレスを溜め込んでいった。そんなある日突然、夕飯を食べてから施設に出勤するまでの記憶がなくなったことがあった。それが何日か続いたので、彼は夕飯の片付けをする際カメラを起動した。そこで記憶が途切れた。
 すると翌日、枕元にメモがあった。
『俺はお前のもうひとつの人格だ。名前はユウヤ。俺はお前の身体を好きなタイミングで借りることができる』
 にわかには信じられなかった。しかしカメラを確認すると、確かに自分が何かを書いている様子が映っている。もちろん山下にそんな記憶はない。

「急いで病院に行きました。また記憶が飛ばないうちにと思って。やっぱり多重人格の疑いが強いという診断でした」
 ここまで来ると、今西にも展開が読めてきた。
「篠原美月さんを殺したのは、そのユウヤという人格だということですか?」
「おそらくはそうでしょう。ユウヤは美月のことを恨んでいた節もありました」
 またもやにわかには信じられない話だったが、病院にはきちんとカルテがあった。そしてそこには山下が解離性同一性障害、いわゆる多重人格であると書かれていた。
 古田は納得したようにひとつ頷いた。
「やはりそうでしたか。それで、ここからは相談なのですが」そこで言葉を切って、今西に向き直る。「君はもういい。外してくれ」
 一瞬、言葉の意味が分からなかった。しかし、異論は認めないという無言の圧があった。今西は素直に退散することにした。
 それからしばらく経った頃。彼は古田に呼び出された。
「今西くん、裁判を見に行こう」
「誰のですか?」
「山下亮さんだよ。本当の意味での決着だ。この事件の結末は、見届ける義務がある」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?