【連載小説】俺と女神と小悪魔と 第2話 「デートを目指せ!」

 読者のみなさん、久しぶり。
 俺だよ。佐倉龍一だ。
 あなた方がこれを読んでるってことは、俺たちの話に興味を持ってくれた人が多かったってことだ。嬉しいね。
 それじゃあ約束通り、5月の出来事について話そうか。

 5月にはゴールデンウィークや修学旅行が待っている。不安材料もあった。だけど結論から言えば、めちゃくちゃ楽しかった。だから5月のブロックが、一番長くなるんじゃないかと俺は踏んでいる。下手したら夏休みよりも。
「DO or DIE」って言葉があるよな。俺はあれを座右の銘にしている。「やるかやらないか」じゃなく「やるか死ぬか」。確かにやらないで後悔するくらいなら、死んだ方がマシかもしれない。
 今回話すのは、そんなことを本気で考えるきっかけになった出来事だ。話は、前回のリーダーとの対面から数日後から始まる。

第2話

 俺のクラスに橋本美月が転入してきてからもうすぐ1カ月が経過しようとしていた。この1カ月で、高校生としての彼女がどういう人物か大体分かった。
 まず第一に、美月は頭がよかった。うちのクラスではどの教科でも週一くらいのペースで小テストが実施されるのだが、彼女はほとんどの回で満点を取っていた。
 ちなみに俺はというと、10問中よくて7問。苦手な分野だと3問以下なんてこともざらにあった。ずば抜けて頭が悪いということでもない上に、特定の分野だけとなるといよいよ救いようがない。
 しかも驚くべきは、美月が宿題をちゃんとやってこないこと。
 俺なんて宿題は絶対期限内に終わらせるし、ノートだってきちんととっている。授業態度にしても俺の方が数倍真面目なはずだ(美月は俺の隣で堂々と居眠りしていることがよくある。天は二物を与えないというが、あれは大嘘だ)。
 世の中には才色兼備という言葉がある。可愛くて賢くて非の打ち所がない女性を褒める時に使う言葉だ。そう、この世界では美月のためにあるような言葉。だけど俺は絶対に美月を才色兼備だとは認めない。なんだか癪に触るからだ。だから美月を避けていると言ってもいいだろう。

きっかけ

 俺が彼女と積極的に仲良くなれないのにはもうひとつ理由がある。
 美月の方から俺に話しかけることがないからだ。
 例えば登校時。「オッス」と声をかけても、一瞬目が合うだけなのだ。いや、転入当初の死神のような態度からすれば大きな進歩だけれども! 俺が可愛い女の子相手に、どんな気持ちで挨拶を絞り出しているか想像してほしい。それも「おはよう」ではなく「オッス」である。俺なりにプレッシャーを与えないように言葉を選んだつもりだ。
 と、ここまで考えてふと気づいたことがあった。
 美月も同じなのでは?
 きっとそうだ。きっと彼女の方も男について免疫がないんだ。だから未だにプログラムと授業、そして田口先生に関することしか会話にならないんだ。
 しかし、俺にも俺で、このままではいられない事情があった。

 この前の集会の時、リーダーに言われたこと。
「この空間だけが、時間をいじれるわけじゃない。もうひとつトリガーがある」
 この言葉の意味を、ずっと考えていた。もちろん田口先生も頼ってみたが、「答えは簡単でしょ? 佐倉くんの力ならすぐたどり着けるはず」と応援されるだけだった。
 生徒を導くのが教師の役目じゃないんですか? と怒りが湧いてきたりもした。けれども冷静になって考えてみると、答えは確かに出た。
 その答えが正しいかどうかを確認するため、俺は放課後、帰ろうとしている美月を呼び止めた。
「あのさ、この前リーダーが言ってた『時間のトリガー』って、橋本さんだったりするか?」
「どうしてそう思うの?」声は平静を装っているが、顔を伏せて笑いをこらえている。どうやら正解らしい。こうなると俺は、普段の推理小説オタクぶりを存分に発揮した。
「橋本さんが言ったんだよね? 制服のボタンが空間転移装置になってるって。でも休日は普通、制服は着ない。それでも『別のトリガー』さえ見つけられたら、異空間と同じように時間の流れは変わるとリーダーは教えてくれた。ということは、トリガーはこの空間にいる人、つまり橋本さんか田口先生のどちらかということになる」
「そこまでは私も分かる。でもどうして、綾ちゃんじゃなく私がトリガーってことになるの?」
「簡単な話さ」自分で話していても芝居じみてるのは分かっていた。それでも俺はもう止まれなかった。
「あそこまでトリガーについて匂わせたんだから、リーダーがトリガーを誰にするか決めたはずだ。ここでもし先生を選んだとしよう。俺と先生が2人で外出したところで何かいい変化があるとは思えないんだよな。むしろ犯罪の香りすらしてくる。つまり」とここまで名探偵気分で語っていた俺だが、次の言葉はさすがに少しためらった。
「リーダーが望んでいるのは、俺と橋本さんが2人で遊びに行くこと。そして仲を深めてほしいってことなんじゃないのかと、まあ、俺は思うわけだけど」

「すごいね! 名探偵みたい!」美月はそう言って笑った。いや、爆笑だった。そこで俺は本格的に恥ずかしくなって、教室を出ていこうとした。だけどそれを止めたのも美月だった。
「大正解だよ!」
「は? 冗談だろ?」あっけに取られてこんな反応をしてしまった。それを彼女は嫌悪と取ったようで、
「私と2人きりで出かけるの、嫌?」と悲しそうな顔をした。
「別に嫌なわけじゃないよ。というかむしろ大歓迎だ! ただ、ほら、橋本さんはどうなのかなって…‥。俺たち少しずつ話せるようにはなってきたけど、出会って1か月も経ってない男とデートなんてさすがに嫌じゃない?」
 俺としては最大限気を遣ったつもりである。だけどどうしてか、美月はブチ切れた。
「なんでそんなに鈍いのよ! もう龍一くんなんて知らない! バカ!」
 あまりの急展開に、俺は少しの間呆然としてしまった。何かまずいことを言ったのは直感で分かる。そしてこういう時、とりあえず謝ればいいという考えが一番の地雷だということも。
 少し冷静になって考えるべきだと思った。外に出ようとしたのに、そのタイミングで先生が入ってきた。始業のチャイムが聞こえて、俺たちは少々気まずいまま授業を受ける羽目になった。
 やっぱり名探偵なんて気取るもんじゃないな。

勇気

 結局そのまま昼休みになった。いつもなら3人で弁当を広げるのだが、2人の微妙な空気感を察したのか「ちょっと次の授業の準備してくるね」と先生は出ていった。去り際になぜか、美月へのグーサインを残して。先生はいつも、勘がいいのか悪いのか分からない。
 2人きりになってしまうと沈黙もキツいものがある。こういう時は、男からだ。勇気を振り絞って、机をくっつけた。
 彼女のリアクションは、「大胆」の一言だった。けれど少し笑っていた。作戦成功だ。
「今朝の話だけどさ」
「うん」
「橋本さんは、俺と遊びに行きたいと思ってくれてるんだな?」
「うん」
「俺もそう思ってる」
「うん」
「じゃあ、今度のゴールデンウィーク、どこか行く?」
「嫌です」
「え!?」
 読者諸君。これは俺の記憶違いではない。あの時彼女は確かに、「嫌です」と言った。終わったと思った。調子に乗っていたんだと反省した。またもや女心を読み間違えたのか? しかし、彼女はこう続けた。
「誘うなら、もっとちゃんと誘ってよ。じゃないと嫌だ」
「あ!」自分でも素っ頓狂な声が出たのが分かった。人生初のデートのお誘いは、こうして失敗したのである。
「ごめん! 俺こういうの慣れてなくて、というか初体験で、もうどうしていいか分かんなくて……」
「アハハ。龍一くんウケる! キャラ崩壊してんじゃん。いつも冷静なのにさ。私だってこんなの初めてだよ? だからこそちゃんとしてほしかったなぁって。ほら、私が龍一くんを嫌いじゃないことは、ちゃんと伝えたからさ」
 耳を疑った。俺にとって橋本美月とは、一万年に一度くらいの美少女だ。そんな彼女に今まで一度もデートの経験がない? 俺をおちょくるにしてもジョークが雑すぎた。しかしだからこそ、美月の言葉には妙な真実味があった。
 この時のことは、10年経った今でも鮮明に思い出すことがある。俺の人生唯一の親友、橋本美月との初デートが約束された瞬間だ。
「じゃあ、改めて。さっきは中途半端な言い方してごめん。俺は橋本さんと、一緒に遊びに行きたい。もっと長い時間一緒にいて、たくさん話がしたい。だから今度のゴールデンウィーク、2人でどこか遊びに行こう?」
 我ながら素直すぎてちょっと引くくらいの勢いだなと反省する。しかしこの時の美月は、笑っていた。
「やればできるじゃん! 最高だよ! ゴールデンウィーク、楽しみにしてるね」
 この言葉がOKの返事だということを、俺の脳はしばらく認識できなかった。あらゆる感情が麻痺したような感じだった。けれど彼女の去り際の言葉だけは、はっきり覚えている。
「バカって言ってごめんね? 私、そんなこと思ってないからね!」

条件

 こうして女子との初デート(と言えるかは疑問が残るが)の約束をすることに成功した俺は、文字通りふわふわしていた。これが有頂天ってやつかと、初めて言葉の意味を体感した。作家を目指す俺にとっては思わぬ収穫だった。
 そんな状態だったのに、4月の20日にゴールデンウィークの補習授業を賭けた抜き打ちテストが行われた。正直詰んだと思ったが、なんと赤点ギリギリで突破した。まああまりにギリギリすぎて、田口先生から放課後職員室でお説教を食らうハメにはなったのだが。
 そのお説教の内容を簡潔にまとめると、こんな感じだ。
「小説が好きというだけあって文系は結構いい線いってるよ? でも、数学がしっかりボロボロ。それこそ、文系の貯金を帳消しにするレベルで。うちの赤点判定が総合得点基準じゃなかったら、龍一くん間違いなくアウトだからね! というわけでゴールデンウィークの合間の平日、放課後に補習授業を実施します!」
 いくら時間を超越しているからといって、それで学力が向上するわけではなかった。となると補習授業は当然なのだが、俺がショックだったのはそこじゃない。
「5月の1日、再試験をします。今回の試験で君ができなかった部分だけ集めた問題よ。そこで点数が倍増していなかったら、連休の課題を倍増するから覚悟しておいて」
 鬼のような話だ。ちなみに俺の数学の点数は25点だった。倍増させろと言っても半分取ればいいだけ……と言うのは簡単だが、それが簡単にできていたら今こうなっていない。しかも過去に間違えた問題ばかりとなると、一気に自信がなくなった。
「連休、美月ちゃんとデートなんでしょ? 先生はね、青春を邪魔する気はないの。プログラムの進行にも影響するし。だから、ハードルも低めに設定したつもり。頑張れ!」
 そう。橋本美月と仲を深めることが、プログラム達成への近道らしい。いまだに全容は掴めないが、先生がこのようなことを何かにつけて言うのでもう察しがついている。
 ちなみに、プログラムの全容はデートで聞かされることになるのだが、この時の俺はそれどころじゃない。もし課題が倍増すれば、地獄を見るのは明らかだからだ。

 ある時、俺が課題の提出を忘れたことがあった。そもそもやっていなかったが、もちろん俺にはその認識はない。
 それをリーダーに問いただしてみた。私はいつでも校長室にいるので、不明な点があれば尋ねるようにと田口先生から伝言されていたからだ。
「龍一くん、超能力を万能だと思うなよ」と一蹴された。
 スピードアップした時間の中でも俺は普通に生活しているらしい。意識や記憶がない間にも、俺はきちんと課題をこなしていたということだ。だが、たまに忘れる。その癖は超能力じゃどうにもならない、というわけだ。
 つまり課題を倍増された場合、記憶がないままに所要時間も倍増、結果美月とのデートが不可能になる可能性が充分にあるのだ。
 それを自覚した時、俺は自宅で叫んだのだと思う。翌朝、声が枯れていたから。

偶然

 俺はついにどうしようもなくなって、美月を頼ることにした。
「橋本さんからすると想像もできないことだろうけど、そういうわけでこのままだとデートができないかも……」
「それで?」
「俺も頑張ってないわけじゃないんだ。それに、田口先生も応援してくれてる。こんなつまらないことで2人を裏切りたくない。だから、俺に勉強を教えてください!」
「家庭教師しろってこと? いいけど、タダではやらないよ? せっかくデートするんだし、勉強の合間に連休の計画、付き合ってもらうからね。私も頑張るんだから、龍一くんも頑張ってもらいます!」
「もちろん勉強は頑張る。俺だって橋本さんとのデートに水差されたくないし」
「あ、それとさ、私も文系ちょっと怪しいからサポートしてくれない?」
「それはいいけど……。本当に俺で大丈夫か?」
「何言ってんの。文系は龍一くんの方が点数いいんだよ? 総合点でもちょっと私が勝ってるくらいかな」
 きちんと課題さえやっていればもう少しいい結果になるのでは? という疑問は飲み込んだ。秀才だと思っていた人と並び立てるチャンスなんて滅多に来ないから。
 かくして、俺たちの勉強会は発足した。もちろん先生には報告済みだ。いくら勉強会といっても、夕方陽が落ちるくらいの時間まで男女が2人きりというのは、普通はあまりよろしくない。実を言うと俺は、この勉強会を発足に漕ぎ着けられる自信がなかった。
 しかし先生の対応といったら、俺の予想の斜め上だった。
「勉強会? いいじゃない! 青春じゃない! 龍一くんも橋本さんも、今までこんなイベント経験ないんじゃないの?」
 なんだか猛烈にバカにされているような気がした。しかし事実なので、俺たちは2人とも何も言えなかった。一方先生はというと、「若人の青春は取り上げちゃいけないって、どこかの先生も言ってたっけ」と満足げである。
 美月は実在する先生の話だと思ったらしく、「綾ちゃんの恩師かぁ。ちょっと興味あるかも」と俺に同意を求めてきた。
 俺はというと、その先生が誰だか心当たりがあった。「田口先生も漫画とか読むんですね」
「意外ってよく言われる。まあ、龍一くんは絶対に読んでると思ったけど」
「そうですね。俺が唯一今でも読み続けてる漫画です。確かに、先生が読んでるのはちょっと意外だったかも。先生の好みって、少年誌系なんですか?」
 読書好きでもあり、アニメ、漫画大好き人間の俺としては黙っていられなかった。しかし、2人で漫画談義に花を咲かせかけた寸前で、この空間にもう1人いる女子が分かりやすく拗ねているのに気付いた。
「そうだよね。橋本さんは少年誌なんて読まないよね? 置き去りにしちゃってごめん!」
「どうせ私はのけ者なのよ。アニメは見るけど漫画は読まない私なんて、オタクの世界では邪道なんでしょ?」
 漫画を読まない割には、随分と少女漫画くさい拗ね方だなぁ、なんて、この状況には絶対に合わない分析力をしてしまった。
 そんな2人の微妙な空気感を察したのか、田口先生は早々に俺たちを解放した。
「一応、勉強会やる時は事前に私に報告すること。少し様子は見に行くけど、2人の邪魔はしないから安心してね?」という安心なのか不安なのか分からないセリフだけを残して。
 全く予期していなかった、漫画の趣味の偶然の一致。このことが後々、2人にいい変化をもたらしてくれるのだが、この時は俺もまだそれを知らない。

進展

 そんなこんなで、前回の抜き打ちテストから約1週間が経った4月26日、最初の勉強会が実施された。俺は理数系、美月は文系が弱い(と言っても断じて俺の理数系ほどではない)ということで、お互いに得意分野を教え合うという話になった。「誰かに教えられるようになると、学力って飛躍的に上がるんだって!」という田口先生のアドバイスに従ってのことだ。
 結論から言うと、先生のアドバイスは絶大な効果を発揮した。勉強スタート後1時間で、俺が抱える問題を美月が見つけてくれたのだ。
「龍一くんさ、簡単な計算問題を落としすぎなんだよ。文章題とかも、理解はできてるのに計算が間違ってるじゃん! 途中式とかもちゃんと書いた方がいい。最終的な答えが間違っていても、理解はしてますって証明できたら少しは点数もらえると思うよ?」
 俺が徹底的にダメなのは数学だけだった。理科も点数が伸び悩むことはあったが、それは科学や物理の分野だけ。植物や地層の問題にはめっぽう強いのだ。
「じゃあ、理科で実験とか物質系の問題だけを落としがちだったのも?」
「たぶん、頭の中だけで計算してるからだよ。ほら」
 そう言って彼女が示した問題は、数学の文章題だった。俺は苦手なはずだが、答えを見ると完璧に正解だった。よく見ると問題文の最後には「途中の計算式も書くこと」の文字が。これ以外の問題を全外ししているだけに、ぐうの音も出なかった。
 計算を面倒くさがるのが、俺の悪い癖。美月はそう言って笑っていた。

 勉強会2日目。と言っても急に決まったことだったから、この日が実質最終日だった。今度は俺が美月に教える番だった。彼女が特に苦手だったのは国語。言うまでもなく、本を読まないからだ。
 彼女のようなタイプは、おそらく本が苦手なわけではない。面白いと思えるものに出会っていないだけだ。人間にそれぞれ性格があるように、文章にもある程度の個性は出る。だから、得意不得意はあっていい。そのことを伝えたかった。だが、それには一つ問題がある。
 俺の家に、彼女を招かなければいけないことだ。
 招くことは一向に構わないと思っていた。記憶がなくなるので断言はできないが、俺のことだからどうにかして親の了解も取れるだろう。
 ただ、今じゃない。これからデートを控えているというのに、異性と、しかも初めての2人きりになる教室以外の空間を自分の部屋にはしたくなかった。
 そこで俺はまず、校長室に駆け込んだ。
「リーダー、相談があるんですが、俺の部屋を校内に再現することは可能ですか? その、一部分だけでいいんです。俺の本棚にある小説コレクションだけ、正確に再現してくれれば」
 相変わらずどこぞの映画の悪役キャラクターみたいなビジュアルだったが、この人は俺たち生徒のこととなると可能な限り対応してくれた。
「君の部屋はプログラム参加時に見せてもらっている。新しい本を買ったとかで部屋の情報が更新されれば、こちらにも情報が来る。だから君の記憶からも新しく買った小説や漫画のことは消えていないはずだ。どの情報を消し、どの情報を残すかというのは、私の判断に一任されているからね」
 なるほど。新しい本を買った記憶がないのに読んだ記憶だけがあるのは、そういうわけか。俺はモルモットかよ! というツッコミは一旦飲み込んだ。
「それなら、親に橋本さんのことを話した記憶は残してもらっていいですか?」
「構わないよ。そうしないと不都合が出るだろうし、最初から彼女に関する記憶は極力いじってない。君のミッションは、彼女と仲良くなることだ。もう気づいているんだろ?」
「何となくですけど。でも、どうしてそれがプログラムの成功につながるのかはよく分かりません」
「それは、美月から聞くといい。タイミングさえ間違えなければ、彼女もきっと打ち明けるだろう。他ならぬ龍一くんならね」

 そうやって俺は、初めて美月を自分の部屋(厳密には学校の使われていない教室だが)に案内することに成功した。
「すごいじゃん! 龍一くん、いつもこの部屋にいるの?」
 美月は喜んでいるように見えた。声のトーンも心なしか高いような気がした。
「まあ、大抵はこの部屋にいるかな。部屋って言っても、床の質感と本棚の内容だけ再現してもらった感じだけど」
「そっか。私だったらこんな本だらけの部屋、30分といられないだろうなぁ」
 ……前言撤回。だがここからだ。俺の部屋にあるのは、本だけではない。
「え! 龍一くんって、音楽の趣味広くない?」
「俺さ、音楽も色んなの聴くのよ。ただのアイドルファンだと思うなよ?」
 思った通りだった。彼女は小説には興味ゼロだが、音楽には結構うるさい。だから俺とも話が合ったんだろう。
「例えばさ、橋本さんにも好きなアイドルとかバンドとか、いるでしょ? 音楽をただ聴くんじゃなくて、『歌詞を理解しよう!』っていう気持ちで聴いてみるんだ。意味の分からない言葉を調べたり、英語の歌詞を自分なりに和訳したりしながら。そうすると自然に漢字とか英単語の勉強になるし、歌詞の世界観にもより没入できる。一石二鳥だろ?」
 文系教科を苦手とする人間は、理屈で考えすぎるのだと俺は思う。「作者はどのような意図でこの一文を加えたか答えよ」なんてのは極論、読んだ側の解釈次第で答えが無限にある。それでも正解とされる答えを出したければ、たくさんの文章や表現に触れて傾向を掴むしかないのだ。
「……というわけだから、漫画でも何でも読んでみることが大事だよ。すぐに小説を読もうとしなくてもいいんだ。『本を読む』ってのはとにかく、楽しむことが大事。楽しくないのに読んでたら苦痛じゃん?」
 結局、美月は小説を何冊か自分で選んで持って行った。どれもこれも国語の教科書に載るようなタイプの作品じゃないが、読書を毛嫌いしていた美月が「自分で」本を選んで、読むと宣言して持って行った。これは大きな一歩だ。俺のミッションはとりあえず成功した。
 あの時、リーダーに頼んでおいてよかった。「ホログラムとかじゃなく、実際のものを用意して下さい」と、無理を承知で言ってみたのだ。自慢じゃないが、小説と音楽には引くほど金をかけている。全部は揃えられないだろうと踏んでいたが、リーダーは快諾してくれた。プログラム遂行のための予算はいくらでもあるらしい。

 俺の熱弁でよほど興味を持ってくれたらしく、美月はその場でも本を読んでいた。俺はというと全部の本を読んでしまっているので、彼女を眺める以外にすることがない。
 話しかけるわけでもないのに、何故だか暇だとは感じなかった。どれくらいの時間そうしていたのかも分からない。
 それでも結構な時間は経っていたのだろう。さすがに美月の方も俺の視線に気づいたらしい。
「そんなに見つめられたら恥ずかしいよ」
 恥ずかしいと言われて初めて自分が「女子を照れさせる行動」をとっていたことに気付いた。今までは無意識で見ていたはずなのに、恥ずかしいと言葉にされるとこっちまで急に緊張してしまう。
「橋本さんのこと見てたわけじゃないよ。真剣に読んでくれてるなぁって、嬉しくなって」
「それって結局、私のこと見てるじゃん」
「あ、いや、だから変な意味じゃなくて……。下心とかはないから!」
「え? ないの?」
「ないよ。デートが控えてるっていうのに、今はそれ以外のことは考えられない」
 俺としてはこれでうまく乗り切ったつもりだった。しかし彼女はまだ攻め手を緩めない。
「私のことずっと見てたのに、下心のひとつもなかったの? 私ってそんなに魅力ない?」
「は!? そういうことじゃないって! 橋本さんは可愛いし頭いいし、本当に魅力的な女の子だよ!」
「今さらそんなこと言われても信じられない」なぜか美月は半泣きだった。俺の焦りは新幹線のように加速していく。
「じゃあ、なんでもする! 橋本さんに信じてもらえるように、あなたの言うことなんでも聞く! 俺、何したらいい?」
「じゃあ」彼女は大きく息を吸った。これはマズったかなと覚悟していたが、要求は意外とシンプルだった。
「……呼び捨て、してほしい」
「え?」
「名前、ちゃんと呼んで。『橋本さん』じゃなくて」
「いやいやいや! 確かになんでもするとは言ったけど、こういうのはもっと時間をかけてさ、俺のペースでやっていいもんなんじゃないの?」
「だって、私はずっと龍一くんって呼んでるのに。龍一くんは心開いてくれないの? やっぱり私のこと、好きじゃない?」
 それを言われると弱かった。元はといえばデートに誘ったのは俺だし、彼女を不安にさせているのもなんとなく気付いていたし。
 もうどうにでもなれだ。俺は腹を括った。
「ガン見しててごめんな、美月」
 人生初呼び捨てだった。本当に心臓が飛び出るほど緊張した。美月も顔を真っ赤にしている。それをみた俺の顔は、美月以上に真っ赤になっていただろう。
「やっぱりガン見してたんじゃん。バカ」そう言って彼女は出ていった。猛ダッシュで。
 ただ、俺が勧めた本はちゃんと全部持って帰っていた。これは脈ありってことじゃないか? 1人で浮き足だって、小さくガッツポーズをした。
 ひとつ誤算があったとすれば、田口先生がガッツポーズを見ていたことくらい。あれは恥ずかしかったぜ。初呼び捨ての時以上に、顔が熱くなってた。「よく高熱で倒れなかったな」って自分を褒めてやりたいくらいだ。

試験

 そんなことがあって、いよいよ試験当日。わざわざここに記すことでもないので省いたが、この数日俺は死ぬほど勉強した。言っちゃ悪いが、すべては心置きなく美月とデートをするため。そしてそれは田口先生も分かっているはずだ。まして試験は午後からだった。起きたてで頭が回ってないという言い訳もきかない。
 1教科目、理科。これは元々苦手意識のない教科だった。だから教科書や問題集と向き合うのも苦ではなかったし、ある程度健闘した自信はあった。
 2教科目、数学。問題はこっちだ。先生の予告通り、俺が苦手な分野ばかり嫌がらせのように出てきた。
 数学の点数は、何も単純ミスだけで下がってるわけじゃない。しっかり苦手分野があったのだ。
 その名は空間図形。俺がこの世で最も嫌いな言葉だ。問題文を見るだけで吐き気がする。気力だけではどうにもならない。普段の俺ならここで諦めていただろう。しかし、今日の俺はひと味違う。

「恋の魔力」というやつだ。空間図形はあの呼び捨て事件の日、「最後の追い込みだよ!」と言って美月が追加で問題を出してきたのだ。
「龍一くん、空間図形だけ克服すればそこそこの点数は取れるって! 頑張れ!」
 意中の女に応援されて頑張らないやつがどこにいるだろうか? それに彼女は俺のために、わざわざネットで問題を探したのだという。そしてもちろん、自分も解いている。ここまでの労力を使ってくれた人間の期待は、男として裏切れない。
 それに、「新しい約束」もあった。それを実現するためには、何としてもゴールデンウィークを満喫できるようにする必要がある。
 そんな不純な動機マックスで、初めて試験に命をかけた。あとは結果を待つだけだ。

約束

 試験終了から数時間の間、俺は机で寝ていたらしい。まだ高い位置にあった太陽が、今はもう見えなくなっている。というか、真っ暗だ。
「ちょっと! まだいたの?」先生が入ってくるなり怒鳴った。まだ覚醒しきっていない頭にガンガン響く。
「すいません。昨日勉強頑張りすぎたのかな。とにかく、燃え尽きました。『あしたのジョー』みたいに」
「こんな抜き打ちテストごときでいちいち灰になってたんじゃこの先どうするのよ。……でも、ちょうどいいか。龍一くん、もう少しここにいなさい」
 おそらく試験結果が出たのだろう。俺の行き先は天国か、それとも地獄か? 1人になったのをいいことに、恥ずかしげもなく目を閉じて祈りのポーズをしていた。途中でドアが開いて、中に入ってくる足音が2人分…‥。ん? ちょっと待て。2人分!
 慌てて目を開けると、そこには美月がいた。
「2人とも試験受けたから、結果は明日一緒に発表! と思ったんだけど……」
「龍一くん、何してんの?」
「これは……っていうか、美月どこから見てたんだ!?」
「なんかぶつぶつ言いながら、上を向いてたあたりから」
「それはな、全部って言うんだよ!」
 今日イチデカい声が響き渡ったところで、先生が手を叩いた。
「はい、そこまで! 2人とも、仲いいのはいいけど、今日の目的忘れてない?」
「「あ、結果!」」ハモった。ナチュラルに呼び捨てができたことで少し舞い上がっていた俺は、なぜだかそのハモリで冷静さを取り戻した。
「落ち着いた? じゃあ、結果を発表します。まずは橋本さん、赤点回避!」
 ここは想定通りだ。彼女は元々赤点常連ってわけじゃない。むしろ今回の赤点が不思議なくらいだったから。
「そして龍一くん、課題の倍増をかけた挑戦だったけど……」ここで溜めるか普通? もしかしてアウトだったんじゃ……、と思った時、「龍一、おめでとう!」と言う声が聞こえた。先生の声じゃない。
「美月、約束ちゃんと覚えてたんだな」
「当たり前でしょ? そのために先回りして、龍一の結果だけ教えてもらったんだから」

 あの「呼び捨て事件」の日。実は交換条件を出していた。
「呼び捨てできるのは嬉しいから構わないんだが、だったら俺からもひとつ頼みがある」
「あれ? 本当に謝る気、ある?」
「2人の今後にも大きく関わる話だから!」
「聞くだけ聞いとく」
「俺のことも呼び捨てしてくれよ。いつまでも『龍一くん』じゃ俺だって嫌だ」
 俺としては結構な勇気だったのだけれど、美月はしばらく考え込んでいた。
「やっぱり緊張してんのかよ! 俺にだけ呼び捨てさせといてそれはねーだろ?」
 半分キレていた。すると彼女は顔を真っ赤にして、「違うもん! 照れてるんじゃないもん!」とジタバタしていた。
「じゃあ、今度の試験で赤点回避できたらね? 家庭教師してあげたんだから、これくらいの条件はつけさせてもらう」
「分かった。絶対に赤点回避してやる。ここまでやってもらったら、出来る出来ないじゃない。やらないなんてないからな」
「その言い回し、小説っぽいなー。誰かの引用でしょ?」
「内緒」

 こんなことがあった。というわけで今俺は、「美月からの初呼び捨て」と「赤点回避の報告」という2つの幸せを一気に味わった。
「ゴールデンウィークは、2人で精いっぱい楽しみなさい! お土産話は、私にも聞かせてくれるんでしょうね?」
「「もちろん!」」2人の声が、またハモった。
「綾ちゃんへのお土産は、買わないけどね?」美月は満面の笑みだった。
 俺としては日頃から色々お世話になってるし、何か買ってこようと思っていた。しかし先生にとってのお土産とは、2人が親密になること。それ以上の恩返しもないと思い直した。
 だから、俺のゴールデンウィークは橋本美月に捧げようと決めた。お金も、時間も、持っている全てを。
 俺は精いっぱい、青春を楽しんでみせる。

 読者諸君、期待を裏切って悪いが、今回はここで終了だ。デートの話はまた次回。書き手の俺としても最初の山場だからな。というわけで、気が向いたらまた読んでくれよ。じゃあな。

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