連載エッセイ「差別と悪意」第2回①

はじめに

前回の記事(こちら)を書き終わった時は、しばらくこの連載は更新するまいと思っていた。しかし俺は思ったより単純な性格のようだ。フォロワーさんに記事を紹介してもらい、また別のフォロワーさんからはコメントを頂いた。そうなると急にメンタルが元気になって、また書こうと思えたわけだ。前述のフォロワーさんにお礼申し上げます。
 今回も重い話になるが、最後まで読んでもらえたなら嬉しい。

プロローグ 前回からの歩み

 前回の記事で書き忘れたが、施設Aに現場実習に行ったのは高2の終わりだった(はず)。そして今回記事に書こうとしている施設Bが見つかったのは高3の夏休みだった。前回も少し書いたが、10年来の付き合いがあった先輩の紹介でまずは見学に行ったのだ。結論から言うと俺は卒業後、この施設に通う。いろんなことがあったが耐えに耐え、結局4、5年在籍した。今回から何回かに渡って、この施設Bのことを書いていく。
 最初に断っておくが、このBという施設、まあ最悪である。それでも俺が「この施設に入ってよかった」と思えたのは、Nさんと出会えたからだ。俺の連載の読者のみなさんにはお馴染み、俺の親友の女性である。彼女はもともと施設Bのスタッフとして俺と出会ったのだった。どんなに最悪な施設だったとしても、Nさんと出会わせてくれたことだけは今でも感謝している。
 施設Bは一番在籍期間が長かった施設だ。あそこで起こった信じられない出来事たちをひとつの記事にしたのでは長くなりすぎる。なので今回は「どういった環境だったのか」ということを中心に書いていきたい。

本題 入社時

 今思い返してみると、施設に入社するときのやり取りからしてもう不安だった。施設に入るにあたっては、双方何らかの要求があるものだ。俺たちサイドであれば「トイレ介助してほしい」とか、向こうサイドだと「休む場合は何時までに連絡をください」とか。それをすり合わせるために学校の先生を交えて話し合いの場が持たれる。
 ところが施設Bの場合は、その話し合いは要らなかったと言っていいだろう。こちらが要求を伝える前に「うちは何でもやるから大丈夫です」と言うのだ。「トイレの介助を……」と言っても「食事の配膳を……」と言ってもすべて、こちらが言い終わる前に「大丈夫です!」と言った。ちなみにその時俺や母と話していたのはマネージャーという役職の人物で、普段はなかなか現場にいない人だった。最も当時の俺たちにそんなことわかるはずもなく、「ここはいい施設だねぇ」なんて言っていたのを今でも覚えている。

入社時の状況(スタッフ編)

 俺が施設Bに入った時、スタッフは5人いた。ちなみにこの5人、数年後に俺が辞める時は施設長を除いて1人もいなくなっている。簡単に紹介しておこう。
 まずは施設長の女性。俺が辞めるまでいた唯一のスタッフだが、いきなり半年くらい施設に来なくなった事があった。おそらく病気療養が理由だったのだが、その事実はごく一部のスタッフにしか知らされておらず、利用者の混乱を招いた。
 続いて、当時唯一の男性スタッフ。仮にDさんとでもしておこう。施設長以外では一番付き合いの長かった人だ。だが、彼も辞めていった。理由は後の回で書くが、彼が辞めた事が俺も辞めるきっかけになったのは間違いない。
 そして、奇跡的に俺の保育園の同級生だった女性。俺が入社して一年するかしないかで移動になった。理由は定かではないが、どうも上層部と一悶着あったらしいと別のスタッフから聞かされた。
 もう1人の正社員が、俺よりひとつ年上の女性スタッフ。通称「バックレ」。匿名といえどもこれでは本人の名誉に関わるから、Tさんとでもしておこう。そしてパートの女性が1人。
 ここまで読んだら一番気になるのは「バックレ」とあだ名された女性のことだろう。が、そのことを語る前にもう少しこの施設の特異性について明確にしておきたい。

作業場に子ども

 相談員さんや障がい者仲間など、いろんな人から「異常だ」と言われたのがこれだ。利用者の作業場に、デイサービスを利用する4〜10歳くらいの子どもが10人くらい毎日走り回っている。平日は未就学児だけなので、そんなには多くない。だが長期休みともなれば、毎日15人くらいの子どもがいた時期もある。スタッフは利用者の作業のサポートをしながら、子どもの世話もしなければならない。世話といっても多岐に渡り、食事やトイレの介助から時には宿題を見たりもしていた。そんな状況だから利用者にばかり気を取られるわけにもいかず、利用者への対応が疎かになることも多々あった。おそらくそれが、Tさんがバックれる原因のひとつにもなったのだろう。

4/17追記 放課後デイサービスについて

 読者の方からのご指摘で、放課後デイサービスについて説明していなかったことに気づいた。ここで説明しておこう。
 放課後デイサービスとは、障がいのある子どもたちが利用できるサービスのこと。一番近いイメージだと、障がい者版学童保育といった感じだろうか。
 このサービスは名前の通り、親が働いている等の事情で放課後に子どもの面倒が見られない親たちをサポートするものだ。大体18時くらいまで、施設で子どもの面倒を見てくれる。「放課後」とついているが長期休暇でも利用できる。また、長期休暇中なら午前中からの利用も可能だ。夏休みに子どもが増えると書いたのはそのためである。
 断っておくと、俺はこのサービス自体が悪いといっているのではない。むしろ素晴らしいサポートだと思っている。問題は「就労支援の利用者(大人)と放課後デイサービスの利用者(主に幼稚園から小学生くらいまでの子ども)が同じ場所にいるということだ。そして、子どもを専門に見るスタッフが1人もいないということだ。スタッフは全員、就労支援のサポートと放課後デイサービスの子どもの面倒、さらには納品などの業務も兼務している。激務なんてもんじゃない。
 入社当初は「放課後デイサービス用の建物を新しく作る」という発言がマネージャーからあった。しかしそれは実現しないままマネージャーは辞めてしまい、その話は立ち消えになった。以降もずっと子どもが利用者と同じ場所にいる状態が続いた。

バックレ事件

 女性スタッフTさんが入ってきたのは、俺が入社してから約1ヶ月後。ゴールデンウィークが明けてすぐだった。そしていきなり連絡が取れなくなったのが7月。他のスタッフも最初こそ「体調を崩している」と説明していたが、1週間ほど経った頃だろうか。施設長から言われた。
「ドラちゃんなら聞いたことあるでしょ? バックれたってやつよ」ちなみにドラちゃんという呼び名は仮だ。実際には施設長だけが、俺のことだけを下の名前でちゃん付で呼んでいた。何度か「ちゃん付はやめてほしい」と頼んだ事があったが、施設長だけは絶対に「ドラちゃん」と呼び続けた。
 話が逸れた。Tさんがバックれたと聞いた時、俺は最初ピンと来なかった。「バックれる」なんて、KAT-TUNのデビュー曲でしか聴いたことがなかった。
 ここまでならよくある話かもしれない。だがTさんがバックれて以降、他のスタッフの態度にも変化が見え始めた。一番信頼していた男性スタッフDさんをはじめとして、パートの女性以外の全スタッフが入れ替わり立ち替わり外出するようになった。時には複数人で一緒に、である。しかも一番てんてこ舞いになる夏休みの時期に。
 当然俺たち利用者は放置だ。残ったスタッフは子どもたちの面倒を見るので手いっぱい。しかも子どもたちにも知的障がいがあるため、常に監視していなければならなかった。施設Bにいる子どもたちは分かりやすく言うなら、体はどんなに大きくても知能は3、4歳レベル。つまり「ダメ」と言われるとやりたくなってしまう。だから危険行為をしないように、常に監視する必要がある。
 そうなるとしわ寄せがくるのは俺たち利用者だ。俺が特に困ったのがトイレ。当時の俺はまだ自分だけでトイレに入ることができなかった。だから介助を頼むのだが「子どもたちから目を離すわけにいかない」と断られることが多くなった。もう1人車いすの方がいたが、彼も同様の扱いを受けていた。
 それもこれも、スタッフが頻繁に外出することが原因なのは明らかだった。1人減って4人になっているのに、そこから2人が外出し、1人が送迎に行っている。送迎から戻ったら、次は前日に仕上げた商品の納品と新しいものの調達に行ってしまう。利用者18人前後、子ども15人前後を1人のスタッフが見なければならない状況だった。

 ある時、さすがに耐えかねてDさんに確かめた。「あなたたちは毎日どこへ?」。彼の答えはとても意外なものだった。
「Tさんを探しているんだよ」
 これには驚いた。なんとスタッフたちは、彼女の自宅まで行ったというのだ。流石におかしいだろうと思って、今度は施設長に尋ねてみた。「辞める直前までのお給料は渡さないと」というのが彼女の言い分だった。だがそれが自宅まで押しかける理由になるのか、甚だ疑問だった。そういうことがあったから彼女は「バックレ」として利用者に認識されていた。

 後になって別のスタッフ(同じ系列の別の施設の方)から聞いた話だが、Bという施設は過重労働で有名だったようだ。俺たち利用者や子どもは遅くとも18時には帰るのに、スタッフが家に帰れるのは日付が変わってから、ということが毎日のようにあったらしい。だがタイムカードは定時で切っているので残業代は1円たりとも出ない(しかも日中の時給でさえ当時の最低賃金ギリギリ)。その上求人広告には、子どもの面倒を見るなんてことは一切書いていなかった。これは俺が当時ネットで検索して確かめたことだから間違いない。

 今回は、俺が直接受けた悪意の話ではなかったが、施設Bの異常性は十分にご理解いただけたと思う。ちなみにTさんの自宅まで押しかけた件は、その場で施設長から口止めされた。この時点で正当な行為でないことは明らかだろう。
 長くなったが次回からはいよいよ、俺に直接的な被害が多数あった時代の話をする。その話をする前に、今回のエピソードを書いておきたかった。この先のエピソードは凄すぎて、いきなり書いたのでは信じてもらえないレベルだと判断した。というわけで次回をお待ち下さい。


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