(音楽話)128: St. Vincent “Broken Man” (2024)
正解なんて無いけれど
ヒト: St. Vincent
St. Vincent、本名Anne Erin Clark。1982年米国オクラホマ州生まれ。12歳でギターを本格的に始め、やがてTuck & Patti(超懐かしい!実は彼女のおじ・おばだそう)のローディーとなります。高校卒業後ボストンのバークリー音楽院に入学するも3年で退学し楽曲制作を開始、2003年にEPをリリースして以降地道な音楽活動を続けます。2006年頃から名乗り始めた「St. Vincent」という名前ーその由来は、Nick Caveが2004年に発表した楽曲"There She Goes, My Beautiful World"の歌詞から取ったそうです…このエピソードだけでも彼女がどんな音楽を好んできたか分かりますよね。
2007年にアルバム「Marry Me」でメジャーデビューすると、ミニマムなサウンドと緊張感ある歌詞、ギターを掻き鳴らして乱舞するライヴでのステージングなど、評論家筋から非常に高い評価を得ます。以降、数々の賞を受賞しながら順調にキャリアを重ね、周りを見渡しても実は比較対象がほぼいない独自なポジションにいます。稀有。
これは私見ですが、彼女は様々なポップ・アイコン、ロック・レジェンドを集めて昇華した音楽を体現しているように思えます。でも単なるモノマネ、オマージュで終わるのではなく、それらを咀嚼した上で彼女独特の世界観が提示されていて、どんな音楽を展開するのか予測しづらい。見ていて毎回非常にドキドキするミュージシャンです。
曲: "Broken Man"
今回の映像は2024年11月、英国BBCの人気番組「Later... with Jools Holland」出演時のもの。7枚目のアルバム「All Born Screaming」(2024)収録の"Broken Man"です。一部でインダストリアルと形容されるマットな轟音系サウンドに乗せて、彼女がシャウトし、徘徊し、最後には文字通りぶっ倒れるパフォーマンスを見せています。
彼女のステージングや仕草、歌声、ファッションは、色んなアイコンの影響を感じさせます。Madonna, Kate Bush, David Bowie, Annie Lennox, Freddie Mercury, Suzi Quatro, PJ Harvey, Patti Smith, Kurt Cobain, Cortney Love, Lady GaGaなど…そこかしこに垣間見える影響の度合い。そしてそれらを纏って「私の横にあなたを釘で貼り付けて」「ねぇ私をなんだと思ってるわけ!?」と絶叫する…自分の切実過ぎる想いにまさに狂っていく主人公。楽曲の構成、抑揚もカオスの大渋滞ですが、そこにスタイリッシュさを感じるのは特筆すべき点です。つまり非常に計算された混乱、冷静な客観と煮えたぎる主観、理解への希望と予めの諦念など、本来両立し得ない感覚を同時進行で意図的に提示している気がします。
壊れゆく私たちへ
あまりにも多量の情報を摂取するようになった私たち。インターネットの熟成とSNSの普及は、私たちの疑問、懸念解消、真相究明などをそれ以前よりも遥かに容易にしてくれました。しかし、それら情報に信憑性の保証はどこにもありません。ましてや、知らなくても良い情報や明らかに捏造された虚構までも、私たちはその真偽を知らぬまま自然と摂取しているーーー誰しもなんとなく気づいているはずです。
その過剰摂取の結果、思想や思考、志向は分断され、互いをあからさまに誹謗中傷するようになってしまった。自分に心地良いもの、都合の良いものだけを信じ、それ以外を全否定もしくは拒否する世界では、互いの認識や理解、融和が生まれるはずはありません。
そして「誰とでも繋がることのできる素敵な世界」を相手に自己肯定を願う気持ちが強迫観念となって、自己意識は肥大し破壊されていく。今やほとんどの人間がアカウントを持っているSNSは「自己の外付け記憶装置」で、その容量を埋めるかのようにあらゆる出来事を写真や動画に収めなければ気が済まなくなったし、デジタルに記録されることに感けて自己の記憶に残らない=覚えていないこともある日々…
承認欲求を満たそうと肥大する自己が、自分に都合が悪い他者の自己に対してアレルギー反応を起こし、徹底して排除駆逐しようとする現代は、人間の内部を破壊しているように映ります。
St. Vincentはそんな壊れゆく人間を表現しながら、その狂った世界を顕示してみせ、警鐘を鳴らしているような気がしてならないのです。
Annie Clarkは言う
彼女は2024年のとあるインタビューで「音楽がエスケーピズム(現実逃避)だとは思っていない」と発言しています。音楽は現実からの逃避を助長する快楽ツールではなく、現実の深部を刺して抉る切れ味鈍いナイフといったところでしょうか。とても今の彼女らしい。
これだけ聞くとリアリストと思われそうですが、前述の通り、David BowieやKate Bushを愛聴してきた彼女。St. Vincentというペルソナを被り、アルバム毎にビジュアルもキャラクターも替えてきたわけですが、アルバム「All Born Screaming」で初めて素になった。素のAnnie Clarkとして語った"Broken Man"は、痛みを伴う差し口と共に私たちに訴えているのかもしれませんー「あなたと私は違って当然。拒絶とかヘイトとかじゃなくもっと柔軟に構えなさいよ」と。
(様々なフォームを試しながらナイフを突き刺していく道程もまた、Bowieなどに通じるものがあり興味深い)
意訳: "Broken Man"
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