(音楽話)117: 東京ゲゲゲイ “ズットスキナヒト (バラードver.)” (2018)
【ウソのつけないヒト】
音楽には、聴く者を笑顔にしたり、悲しませたり、怒らせたり、喜ばせたり、励ましたり、叱責したり、気づかせたり、ひととき忘れさせたり、とにかくその人の感情を揺さぶる力を持っています。でもそれは書物でも、絵画でも、彫刻でも、料理でも、ダンスでも、建築でも、あらゆる分野で同じことが言えるはず。音楽をアートというなら、他のあらゆる全ての表現形態もアートと呼ぶべきです。
いや、そもそも「art」は「人の手で作られたもの、技巧や手仕事」が語源。ならば、人間が生み出すものの全てがアートと言って良い。それなのに一部の人たちは、アーティストを自称する割にその表現形態への拘り、信念、執念を感じさせてくれません。非常に軽く、安易に「アーティスト」という言葉を使っているように思えます。アートの価値が相対的に下がっているような気がしてならないのです。要は、アート、アーティストという言葉の扱いが軽過ぎるのです。
アートとは、格式高く普遍的な価値感を生み出し、触れる者の感情を大いに揺さぶりなんらかの影響を及ぼす表現形態であり、それを信念として創出する者が「アーティスト」だと、私は思っています。その意味で、音楽において「アーティスト」と呼ばれるべき人間は現在ほぼ存在しません。もっと言うと、「アーティスト」という言葉を多用する人間であればあるほど、私はその人を信用できなくなります。アートを安く考え過ぎている、と(手軽さと安っぽさは全く違います)。
でも東京ゲゲゲイは、アートかもしれません。
2013年頃から活動を本格化させた、MIKEY(牧宗孝)を中心としたプロジェクト。BOW(大森由香里)、MARIE(水木麻里絵)、MIKU(岡田美紅)、YUYU(田村侑弓)の計5人で活動し、歌とダンスを高次元で融合させ、国内外公演の評価も非常に高く、着実に実績を重ねていきました。
ちょっと昔ですが、彼らのダンスの一端はこちら。全員振り付けやダンス講師を担うほどの使い手、さすがの一言。ヴォーギング的ですがオリジナルな動きが多く、しかも寸分違わず揃うすごさ。こんな動きをライヴ全編で彼らは歌いながら繰り広げます…バケモノです。
(左からBOW、MARIE、MIKEY、MIKU、YUYU)
優美、卑猥、激情、悲哀など、様々な感情を打ち込み中心の音楽とそれに呼応したダンスで表現するゲゲゲイ。現在はMIKEYのソロ・プロジェクトになっていますが、MIKEYは歌もダンスも異常なレベルで、感情表現に長けた独特な歌声、特に指先の表現が繊細かつ大胆なダンスは必見。(5人時代の)ライヴを観に行ったことがありますが、それなりに大きなホール公演なのに会場は完全にクラブ状態、観客皆が踊りながら歓声を上げ、もう会場全体が東京ゲゲゲイ、まさに祝祭の空間と化していました。ぜひ生でご覧ください、オススメです。
"Yes Or No"や"ダンスは僕の恋人"、”Sense Of Immorality”、"KIRAKIRA 1PAGE"、"Outsider"…お気に入りは沢山ありますが、特に"Outsider"は歌詞も含め、2021年発表された全楽曲の中で最高の1曲だと私は今でも思っています。
(様々なことを経験してきたMIKEYが、どんなに踠いても払拭できなかった先入観や変わらない現状への諦念・開き直り・宣言をぶちまける。パロディと卑猥とカッコよさと寂しさが大混雑するビジュアルとダンスが、MIKEYのストレスの大きさを物語っている素晴らしいMV)
MIKEYは元々歌手を志したものの一度は断念、ダンスに打ち込んだそうです。そして教え子たちと組んだ東京ゲゲゲイで日の目を見るわけですが、その生い立ちで相当の葛藤や苦難、諦念、決意があったと思われます。また、彼はゲイを公言していて、そのセクシャル・マイノリティに悩んだ時期もあったそうです。それらの苦悩が生み出したであろう曲が、この"ズットスキナヒト"です。
思春期の恋を振り返る歌ですが、主人公の立ち位置が独特です。全く淡い思い出ではなく、今も続く膿のようなもの。未練にしてはあまりに重い。でも後悔ではなく諦念が強い。根底にどうしようもない何かがある…初めてこの曲を聴いた時、泣いてしまいました。自分の思い出と照らし合わせてしまったからですが、それが具体的になんなのかは言いません笑
4人のダンスが明らかに主人公の心情を表していて寂しさとやるせなさを感じさせる映像に色付けるMIKEYの声。その震え、抑揚、声の使い分けなど、ヴォーカリストとしての才能が溢れています。
QueenのFreddie Mercuryは、かつてこんなことを言っています。
MIKEYにその意図があったかどうかはわかりませんが、結果的にこの曲は、私にとってそんな曲になっています。そしてそれは、私ひとりではないと思います。
私見ですが、MIKEYはきっと「ウソのつけないヒト」なんだろうと思います。正直であるが故に、取り繕うことができないが故に、世界とうまく折り合いがつかない。自身のコンプレックスを払拭しきれない(彼は極度の人見知りで表に出たがらない性分であることも告白しています)。器用だけど、不器用な人。(甚だ烏滸がましいとは思いますが)そんな彼の苦悩が他人事に思えないのです、私には。
この非凡な才能と佇まい。今後も注目したいヒトです。
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