(音楽話)105: Don Henley “The Heart Of The Matter” (1990)
【赦すということ】
人生には、色々なことがあるものです。
その出来事ひとつひとつになんらかの意味や感情的な結論や教訓のようなものを全て求めていたら、それだけで人の生は右往左往し、疲れてしまう。ひとつの出来事をいつまでも引き摺っていては、それに縛られてその他の事が見えなくなってしまう。でも、かといって、過去を全て忘れ去ってしまうと、その経験を活かすことができず、同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない。
生きる上での悩みは、大なり小なり、誰しも持っているはずです。そしてそれらと戦ったり、諦めたり、スルーしたり、抗ったり、受け入れたり、静観したりして、私たちは自身の人生と折り合いをつけようとする。
生きるって難しい。
その一方で、私たちが生きている現代では、人間ひとりが処理できる限度を遥かに超える情報量を、好む・好まざるにかかわらず常日頃浴び続けるようになってしまいました。
自分でフィルターをかけて情報量を制限せよ、情報に惑わされない確固たる基準を持たない者が悪い、などと言われしますが、そんな簡単に都合良く情報を選ぶことなんて、できるわけがありません。
どんな理由であっても誰もが反対するのに今だに無くならない戦争。人智を圧倒的に超える自然災害。欲望に溺れ腐敗する政治。庶民の認識とかけ離れた経済指標。妬みと嫉みと僻みで荒れ狂うSNS。いつの間にか己を棚に上げて品行方正を全方位に過度に求める風潮…世界全体がとても荒んでいる。
Don Henley。言わずと知れたEaglesのドラムス/ヴォーカル。70年代、米国西海岸の甘美な夢や希望、無敵感を体現しながらも、そしてそれが幻想であることまで含んだ歌詞と曲調で一世を風靡しました。C&Wサウンドが出自にあって初期は純朴に聴こえていましたが、青年が世界の穢れを体験し「大人」になっていくように、やがて諦めと達観を示唆する音と歌を鳴らすようになりました。そんな彼らの行き着いた先にあったのは「いつでもチェックインできるけど二度と出られない」"Hotel California"('76)、でした(それが結果的に彼らの墓標となるのですが)。
80年にEagles活動停止後、Donはソロ活動を始めます。82年アルバム「I Can't Stand Still」を発表、バンドから解放されたポップな曲調に驚きますが、根底にあるC&Wの乾いた視点、達観を経て人々を諭すような沁みる歌詞、超高音のサビが印象的な"The Boys Of The Summer"は大ヒット。その後も活動を続け、特に80年代〜90年代初頭、活躍しました。
"The Heart of The Matter"は90年のシングル。これも彼の代表曲のひとつですが、日本ではあまり知られていません。私は当時、確かAmerican Music Awardsだったか、日本のTVで観た特番でDonがこの曲をアンプラグドで静かに歌った時の記憶が今も残っています。
なんといっても、Donの声質が非常にズルい。Rod Stewart、Sting、Brian Adams、Richard Marx、John Bon Jovi、近年ではJohn MayerやBruno Marsなど、ハスキー・ヴォイスな男性シンガーは多くいますが、Donのそれは声の幅が広く立体的で、発音も聴きやすい。そして、掠れ声の向こう側に物悲しい響きが見えるような。
1番を聴くとラヴ・ソングですが、2番の歌詞がそれを全く許してくれません。
どんなに世界が便利になったり発展しても、根底にある悩みは変わらない。でもDonはサビでこう歌います。
歌のテーマを加味して"Forgiveness"は「許し」ではなく「赦し」と訳しました。
過去とこの瞬間、良いも悪いも受け止めて未来に進んでいくために、それらをまずは赦そうよー心が強くないとできない気がしますが、Donの「意思が弱くて考えがまとまらないけど」に救われます。そうか、強くなくてもいいんだ、と。
過去は変えられないけど、だからと言って諦めるわけじゃない。まずは赦す=受け止めよう。そうすれば、きっと今の不快で憂鬱な状況に優しい光が差す。
…のハズです、確信はありません笑。でもこの曲を聴くと私はいつも、ちょっとでも心が軽くなる気がするのです。
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