(音楽話)34: Shirley Horn “Here’s to Life” (1992)
【乾杯】
Shirley Horn “Here’s to Life” (1992)
大野えりというベテランのジャズ・シンガーがいます。たまたまYouTubeで見つけた、彼女が「50年ぶりにピアノに挑戦して」弾き語りした”Here’s To Life”の味わい深さに酔いました。
大野えり ”Here’s to Life” (2020)
このオリジナルを探すと、Shirley Hornというジャズ・シンガーに辿り着きました。
1934年米国ワシントンDC生まれ。4歳からピアノを習い、なんと12歳でハワード大学で音楽を学び始めます。非常に優秀で名門・ジュリアード音楽院への進学が許可されるものの、家計的にその余裕はなく断念し20歳でジャズ・ピアノ・トリオを結成します。それまでクラシック畑だった彼女にとってジャズの世界は大変刺激的だったらしく、「Oscar Petersonは私のラフマニノフになったし、Ahmad Jamalは私のドビュッシーになった」んだそう。
60年にアルバム・デビューするとMiles Davisの眼に留まってセッションに招かれ、ジャズ界で認知され始めます。62年には当時マーキュリー・レコードの副社長だったQuincy Jonesに見出されアルバムを数枚リリース、評論家筋から高い評価を受けますが、あまり売れませんでした。
ようやく陽の目を見たのはアルバム「A Lazy Afternoon」(1978)。その後80年代は日本でも少し売れたり、91年にはMilesがゲスト参加したアルバム「You Won’t Forget Me」をリリースするなど、ようやく活動が軌道に乗ります。そして92年のアルバム「Here’s to Life」とその同名曲は非常に高い評価を得、彼女の代名詞になりました。2005年に乳がんで死去、71歳でした。
決して平坦ではなかったShirleyの人生。でも最後の25年間ほどはメンバー(ドラムス、ベース)を固定して歌い続けたそう。どういう状況であれ、自身のスタンスとプライドは決して譲らなかった、そんな彼女がこの”Here’s to Life”にはよく表れている気がします。当時60歳手前の彼女が、人生を振り返った時に零した「人生に乾杯」。彼女はこの曲のストリングス・アレンジが大仰であまり好きではなかったようですが、彼女の掠れ声、まるでシャンソンのような語り口調、言葉の零れ方は、そんなストリングスの物悲しさと達観めいた音色を引き出し、心に沁み渡ってきます。あまりに深く、あまりに温かく、あまりに切ない。
私の今年は散々でした。ですがそれは自業自得。いつでもそうです、極めて軟弱で軽率で不埒で無計画な私の、手前勝手で非論理的な理屈だけが軽薄な顔して、今日もノウノウと息をしています。なんのことはない、畜生以下の阿呆です。
ここでこうして駄文を書き連ねてきたのは、単に、そうでもしないと完全に気が触れてしまうからです。「心の鏡」である音楽を介してツラツラと文字を興し、自分を確認したかった。「音楽を紹介する」テイな文章は、単に私の自己満足と自己憐憫と精神安定のためでしかありません。
皆様の年末穏やかな日々と、来年の更なるご多幸を、心よりお祈りいたします。
乾杯。
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不満もないし 後悔もない
夢の途中だし まだ賭けに出てるつもり
でもわかったの あなたは全てを私にくれたって
だからその分 私の全部をあげる
自分の取り分はあったし 飲み物も十分
でもたとえ満足でも まだお腹空いてるわ
だって他の道やあの丘の向こうに 何があるか見たいもの
だからもう一度やり直すのよ いつだって
人生に乾杯 ささやかな喜びに
人生に乾杯 夢追い人とその夢に
どれだけ時間が 過ぎていったのかしら
どれだけの愛が 出会いと別れを交わしてきたのかしら
そんな思い出と共に あなたは置き去りにされる
凍える冬でも それはどれも温かいものだけど
昨日を良いと 思えないんだったら
明日がくるかこないかなんて 誰が分かるっていうの?
ゲームに興じてるかぎり 私はプレイしていたいわ
笑顔と、人生と、愛のために
人生に乾杯 ささやかな喜びに
人生に乾杯 夢追い人とその夢に
あなたを襲う嵐が 止みますように
良いことが もっとたくさんありますように
人生に乾杯、愛に乾杯、あなたに乾杯
あなたを襲う嵐が 止みますように
良いことが もっとたくさんありますように
人生に乾杯、愛に乾杯、あなたに乾杯…
(Shirley Horn “Here’s to Life” 意訳)