(音楽話)115: レキシ “きらきら武士” (2014)
【日本最高の「天才」】
音楽は、ひとりで作り出せます。
そりゃあ楽器まで自分で作るとなれば至難の業ですが、基本的に音楽はひとりで作ることができます。ましてや昨今、楽器が弾けなくても自由に音を組み合わせて音楽を制作することは容易いし、ヴォーカロイドを使えば歌唱も挿入できます。今、動画サイトなどで流行る一過性のネタのような楽曲の数々は、実際そうやって出来上がっていることが多い。
そして現代、生成AIを使えば歌詞さえも自動で作ることができる。それどころか、「楽しかった彼女との恋愛が突然、彼女からの別れの言葉で終わってしまい途方に暮れる主人公。別れの理由はわからないまま。そんな彼の視点から見た秋の景色を歌った歌を作って。BPM90くらい、楽器はピアノとミュートしたトランペットだけ、物悲しいメロディで3分くらいの長さ」とAIにお願いすれば、実際作ってくれます。
ほんと、便利な世の中になったものです。
でも、味気ない。
生み出すキッカケは確かに人間によるスクリプト(AIにリクエストするための文章)ですが、あとはAIが自動生成するだけ。たとえAIが良い歌詞やメロディ、サウンドを生み出したとしても、制作過程に人間の深層心理や感情の波、想いの念のようなものを込めることはほぼできません。そのような成果物が、本当の意味で人間の琴線に触れることはできるのでしょうか。
生成AIの裏にあるのは、膨大なデータと、それを組み合わせてひとつの答えを導き出すロジックです。そもそも、参照元の信憑性と著作権、成果物の厳密な権利処理、スクリプトを待たずしてAI自身が独自に新たな参照元そのものを創出してしまう可能性など、AIに関する課題・懸念点は既にたくさんあります。ま、それらすらAIは予測するのかもしれませんが。
私たちは、目の前に示される結果を真実と認識してしまう傾向があります。恣意的な誘導、単なる誤認、解釈の相違に起因する異なる真実の提示などの可能性は本当にないのか、私たち自身が、自分たちの力で、判断しなければなりません。
鵜呑みにするのではなく、常にどこかに疑念を持ち続けること。
一見すると嫌な姿勢に思えるかもしれませんが、しっかりと見極める目を持つためには、情報に対する疑問を常に持つべきだと思うのです。
あれ…?なんか最初から脱線して真面目に語ってしまい、何を紹介するか忘れてました。はい、レキシです。イイ、クスリです。
ご存知の方も多いと思いますが、レキシは池田貴史によるソロ・ユニット。00年代にSuper Butter Dog(大好きなバンドでした)のキーボード担当として活躍した池田が、2008年SBD解散後に立ち上げたもので、自らを「レキシ」と名乗り、アルバム毎に多彩なゲストを呼び、それこそ歴史上の人物や出来事をテーマにした楽曲を制作しています。
ゲストには「レキシネーム」と呼ばれる別名をつけるのがルールです。一部ですが、こんな感じです。もう完全に遊んでます笑
Deyonná 椎名林檎
足軽先生 いとうせいこう
旗本ひろし 秦基博
阿波の踊り子 チャットモンチー
森の石松さん 松たか子
ビッグ門左衛門 三浦大知
にゃん北朝時代 カネコアヤノ
ぼく、獄門くん 打首獄門同好会
たとえば、Deyonná(椎名林檎)は「出女」のこと。江戸時代、人質として江戸に住まわされ、変装して祖国へ脱出しようとした大名の奥方たちのことを指しています。
その彼女とレキシは"きらきら武士"(2011)で共演しています。
アナログでバリバリなディスコ・サウンド、印象的なリフレインとDeyonnáの特徴ある声質、語呂遊び・意味の重複で捉えどころを曖昧にする歌詞など、一聴してはっきり耳に残る曲です。
椎名林檎は、現代日本音楽界で非常に大きな影響力を持つに至りましたが、その要因のひとつは「自己プロデュース力とブランディング」。その音楽遍歴の中で都度、的確かつ絶妙な人選で強烈な楽曲を発表し続け、その典型が男性ヴォーカルとの共演が挙げられます。
宮本浩次、トータス松本、浮雲(長岡亮介)、向井秀徳など…誤解を恐れずに言えば、猛獣使い的な立ち位置で男性ヴォーカルを自身の音楽に取り込み、自分のブランドをさらに高めているように見えます。
しかし、"きらきら武士"はどうでしょう?Deyonnáというペルソナを着ているという特殊条件はありますが、明らかに、池田が椎名をデフォルメし、音素材として彼女を使っているような気がします。
つまり、多方面で自己プロデュースとブランディングを確保し己を引き上げ続けた椎名が唯一、完全に逆プロデュースされて素材扱いされたのは、後にも先にも"きらきら武士"だけなのではないか?ということです。
(悪意は微塵もありません。池田と椎名に対する完全な褒め言葉ですので何卒誤解なく)
そうです、本当の天才は椎名林檎ではありません、池田貴史です。あまりに評価がなされていなさ過ぎですが、間違いなく彼は日本有数の、音楽的才能の塊です。断言します。
これは(Deyonnáは登場しませんが)"きらきら武士"のライヴ映像。時は2014年12月、場所は東京・豊洲PIT。当時レキシを支えた強力なバンド布陣の中、ゲストとして登場したのはオシャレキシ=上原ひろみ。日本どころか世界のジャズ界でも宝と言われ、ジャズの即興性と個性を突き詰めた孤高の天才・Keith Jarrettに寵愛され、今も精力的に自身のバンドでライヴやアルバム制作に勤しむ彼女。「レキシ 対 オシャレキシ~お洒落になっちゃう冬の乱~」と銘打ったこのライヴで、この曲は強烈なジャズ・サウンドに変貌します。
レキシが天井のミラーボールを指差して通常の"きらきら武士"を演ろうと促すも、オシャレキシがボッサ的なピアノ伴奏を弾き始め、あっという間にその雰囲気に包まれる。拒否するレキシに「歌って」とオシャレキシ。ボッサのリズムで軽快に歌い、健介さん格さん=奥田健介(NONA REEVES)がスパニッシュ的ギターソロで高揚感を生み出したかと思えば、ほっぺた犯科帳=類家心平は頬が破裂するほど膨らませながら即興性の高いトランペットソロをかます。
そして大ボス、オシャレキシのピアノソロ。流れるような旋律、途中で"Just Two Of Us"を挟む即興性、恐ろしいスピードとリフレインで醸成される高揚感にバンド全体も反応、彼女は立ち上がって身体全体で連打連打の嵐。溢れんばかりの才能を惜しみなく披露する彼女もスゴいですが、そこに呼応するバンドメンバーもスゴい。
なんという演奏…これを観て興奮しないわけがない!
これこそ、AIが生み出せない音楽の熱であり、息遣いであり、興奮です。観客の興奮と歓声に乗せられてどんどん高まっていくオシャレキシの演奏、必死に食らいつくバンド、その様子を見てニヤつきながらさらに煽るレキシ。これが音楽です。身体全体で聴く音楽という体験の尊さを感じずにはいられません。
想像ですが、忙しい面々です、きっと音合わせの機会自体ほとんど無かったはず。打ち合わせで大まかな曲構成と段取りだけ決めて、あとは各々のその場のノリ、アドリブということになっているかと。即興性が生み出す熱を存分に味わうことができる名演と言って良いでしょう。
こんなライヴができるのは、レキシの才能とプロデュース力があってこそ。何度も言いますが、
間違いなく池田貴史 / レキシは、日本有数の、音楽的才能の塊です。大天才です。今ここで、覚えてください。
皆さん、「レキシ」で動画サイトを調べたり、音楽サブスクで検索してみてください。その才能の多彩さ、深さ、素晴らしさに驚きます。ぜひ!
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