(音楽話)123: The Cure “I Can Never Say Goodbye” (2024)
【安心して】
2024年11月6日は米国大統領選挙投票日。共和党Donald Trumpと民主党Kamara Harrisの争い。この原稿を書いている現在も速報が次々と入っていて、両者拮抗。郵便投票や電子投票の結果集計は数日掛かると言われていて、雌雄を決するのは数日後と言われています。どちらが勝つにせよ、不正投票だの集計工作だの陰謀論だの言い合うのでしょうし、昨今の「分断のアメリカ」を象徴するような誹謗中傷が引き続き起こるかもしれません。願わくば、あの事件(議会不法占拠)のような、もしくはさらに酷いことが起こりませんように…
現在の米国は、比較的保守的と言われる共和党と、比較的リベラルと言われる民主党のどちらかしか基本的に政権を取れない。しかし、共和党と民主党の間にあるのは政策論議ではなく、まるで宗教のように互いを異教徒扱いして全否定する言い合い。ディベートを聞けば分かりますが、ただの悪口合戦です。
二大政党制は、もはや現代には通用しない考え方かもしれません。その証拠に、米国は特に21世紀に入ってから極端に世論が分断されてきました。様々な議論を無理矢理二者択一に押し込めたが故に、建設的な議論ではなく、破壊的な非難が大半を占めてしまった。これが、「自由の国」「世界のリーダー」を自認してきた大国の今の現実ではないでしょうか。
「二大政党制は政治に緊張感を生み、常に選択肢があることが健全な民主主義を育む」という論調。日本国内でも二大政党制を唱える人が今も多いですが、私には全くそう思えません。
二大政党制では、広範なテーマの議論を取りまとめて各々で統制を取るということになります。そうしないと政策や法案が議会の多数決を通らず、成立しないからです。ということは、主義主張の異なる者同士が大同団結して大義名分(政権維持/奪取、政策成立/阻止)を取りに行くわけですから、内部的には妥協や有耶無耶、打算が起こり得ます。場合によっては多数派工作=買収なんて可能性もあるでしょう。
また二大政党制は、自分以外の主張を否定しがちです。あたかも他方が悪魔か大罪人かのように誹謗中傷し、主張の正当性が論理的ではなく感情的に流される傾向が強い。オラが村の住民以外は決して認めない、全否定して論破だの駆逐だの、平伏させることが目的になってしまう。
先日の日本の衆議院選挙では、与党(自民党・公明党)が過半数割れという結果になりました。その一方、野党側は過半数を超えましたがそれは寄せ集めの結果であって、政策や考え方は各々で違いがあり過ぎます。野党第一党(立憲民主党)が取りまとめて大同団結できる、一枚岩になれるレベルのものではありません。
この状況では、与党も野党も首班指名で過半数が取れません。決選投票では与党側の勝算が強いですが、それでもその後の各政策議論や国会審議は、与党側の一存では議会で通りません。つまり、これまでの政治運営が罷り通らないのです。
興味深いのは、先の選挙で4倍の議席数を獲得した国民民主党が、政策ごとに与野党と協議して都度賛成・反対していく姿勢を貫こうとしていることです。「野党(や党)」でも「与党(よ党)」でもない、中間の「ゆ党」(上手いこと言いますね)と一部で呼ばれるこのポジションは、これまでの議会制民主主義の流れを大きく変える可能性を秘めています。
与党=政権側は、自分の政策や法案を議会に通そうと思った時、野党側の協力要請が必須となる。野党側は、自分の政策や法案を政権に飲ませるために、政権の主張との折衝を行って調整できる。これまで以上に政治の駆け引きや交渉が衆目に晒されて論点が見える化することを、私はとても期待しています。
現在社会が抱える閉塞感、多様性と言いながら実際は他者を排除しようとする思考の膠着化、インターネット(SNS)という汎用的外付け自我で過剰に膨れ上がった自己と他者の境界線の曖昧化など、どうも私たちは、物事の判断基準を明確に決めつけ過ぎてしまった気がします。要は、自分に都合の良い物事だけを見聞きし、それ以外を排除する。Yes-Noでしかない世界。その意味で、世界と折り合いをつけ、自分の主義主張を世界に飲み込ませるために建設的な議論を透過的に行うことが、この閉塞感を解消してくれる道標になるのではないかと思うのです。
…のっけからまた脱線しましたすみません。でも今回のThe Cureと二大政党制の終焉、関係していないわけではないのです、私的には。
もはや英国バンドの伝説的存在、The Cure。バンドのアイコン・Robert Smith(Vo, G)を中心に1976年に英国ウェストサセックスで結成。79年にアルバム「Three Imaginary Boys」でデビューし、当時のポスト・パンクやニューウェーヴの代表格のひとつと位置付けられます。80年の「Seventeen Seconds」では暗くて深いサウンドを鳴らし、ゴシック・ロックとも形容される独自の世界観を確立。ポップな要素も都度加えることで時折シングル・ヒットも飛ばす人気バンドになりました。"Just Like Heaven", "Lullaby", "Lovesong", "High", "Friday I'm In Love"などが代表曲ですが、一番有名なのは"Friday I'm In Love"でしょうか。92年当時流行ったレイドバック気味な60sサウンド、でも内気で根暗な歌詞。MVでのRobert、まさにイメージそのものです。
以降もRobertとSimon Gallup(B, Key)を中心にメンバーは変遷しつつ地味ながら活動を続けていきました。今や野外フェスに出れば局地的に会場が異常に盛り上がるほどフォロワーが多く、英国では大ベテラン、レジェンドな存在です。
しかし2008年の「4:13 Dream」以降、楽曲リリースが途切れました。ライヴ活動もほぼ皆無。2019年、それまで10年以上に亘ってエントリーを望み続けたロックの殿堂入りをようやく果たし、2022年にツアーとアルバムリリースを発表するも頓挫。紆余曲折あったようです。
そして遂に2024年、アルバム「Songs Of A Lost World」のリリースを発表(11月予定)。実に16年ぶりにミュージック・シーンに彼らは帰ってきました。現在のメンバーは、Robert、Simonの他に4名の計6名=ギターx2、ベース、ドラムス、キーボードx2です。
(ご存知の方もいるかもしれませんが、ギターのReeves Gabrelsは90-00年代にDavid Bowieの片腕だったギタリストです)
彼らは2025年にはツアー、2028年にはドキュメンタリーを公開予定。そしてRobertは「2029年、僕は70歳。デビュー・アルバムからちょうど50年経つし、引退するつもりだよ」とも言っています。
この映像は2024年、プロモーションでBBC Musicに出演した際の映像。新譜収録の"I Can Never Say Goodbye"を生演奏で披露しています。
(この歌自体は2022年にライヴで発表済)
まずイントロが長いですが、これは彼らの特徴なのでご勘弁を。そしてとても暗いサウンド、ものすごいチルアウト感、歌詞の気怠さと悲観、Robertの上手いんだか下手なんだかわからないヴォーカル、ベースとギターのリフが意外とグリグリなのも健在。そしてそこで歌われる「さよならなんて言えないよ」。とっっってもThe Cureです。私はとても喜んでいます。
私の深読みですが、Robertは、なにか得体の知れない悪意に自分の大切なものが切り裂かれていく気がすることを非常に恐れているように見えます。それは直接的には誹謗中傷だったり過剰な詮索かもしれません。そして彼の視点は、私たちにも置き換えることができるような気がしてもいます。
あまりに行き過ぎた世界、同調を強いる世間、白黒しか認めたがらない硬直した判断など、世界に蔓延しているギスギスして鋭利な刃物のような思考が、自分本来の思考や大切な存在を容赦なく切り刻んでいくようにも思えるのです。
世界は本来、もっと柔らかかったはずです。そうでなければ、あらゆる想像、夢、理想が立ち上がることはできなかったはずです。でも今、世界はどんどん硬直している。あまりに多くの情報を目にし過ぎているせいかもしれないし、その反動で自分のお気に入り以外の全てを否定したくなるのかもしれない。だから造られた想像、造られた夢、造られた理想しか私たちは認識できなくなってきている気がする…こんな世界、心地良くありません。
だから私には、Robertは「僕からさよならなんて言わないよ(だから安心して)」と、寄り添ってくれているように思えるのです。
(紹介する全ての音楽およびその画像・動画の著作権・肖像権等は、各権利所有者に帰属いたします。本note掲載内容はあくまで個人の楽しむ範囲のものであって、それらの権利を侵害することを意図していません)