【アーカイヴ】第286回/レコ買いを刺激するデジタルの恩恵を受けた2月[田中伊佐資]
●2月×日/コロナが蔓延して、人々は外出を自粛するようになった。自宅で楽しめることに目を向けるのは自然な流れで、ゲームとか家庭菜園とかインドアなことがいろいろ活況らしいが、オーディオもそれに入っている。
業界関係者に「世の中コロナですけど、調子はどうですか」と困ったようなトーンで訊いてみると顔は暗くする人はおらず「そんな悪くないです」とか「まあまあです」とかの返事が来る。「いやあ儲かってますよ」とか言うわけがなく、なかなかいい感じではないかと思う。
別にリサーチしたわけではないので、大きな根拠はないけど、僕の感覚ではこの業界はいま好調なのだ。だから価格値上げのニュースを目にしたりすると、経済の閉塞感に乗じて、うちも厳しいんです的なムードを醸し出している感じがして、なんだかなあと思う。
ともあれ、飲み会や旅行など外で使うお金が節約できたので、それをグレードアップにあてるオーディオファンの心理はもっともなことだ。
それより僕が特に期待したいのは、押し入れにしまってあった古いスピーカーを出してみるかとか、レコードがまた復活しているみたいなのでまた聴いてみるかとか、再び新しく始める人が増えることだ。軽い調子で始めてみたら、なんだか楽しくなっちゃうパターンって結構あるんじゃないか。
それでいうと僕もさして深い動機もなく始めてみたら、面白くなってきたことがある。
今年の1月に「やっぱオーディオ無茶おもろい」というYouTubeがTOP WINGの提供で始まった。
内容としてはカートリッジをいじったりケーブルを変えたり、製品の比較試聴をしたりと、自宅でいつもやっている取材という名の趣味の実践を同社の菅沼洋介さんと一緒にやっている。
彼は「宣伝クサくなると見る人もつまらないだろうから、好きなようにやってください」と実に鷹揚で、自社の取り扱い製品に固執していなかった。とはいえ「試してみてよかったらネタにしましょう」といくつかの製品サンプルを置いていった。
そのなかにiFi audioのNEO iDSDがあった。外箱には「Ultra HD DAC + headphone amp」と書いてある。僕はここ数年レコードばかりを聴いていて、DACには興味ない。またヘッドフォンは持っていないから、そのためのアンプなんぞまったく不要。細かいことはよくわからんが、自分とは無縁のものだと判断し開封すらしていなかった。
そのうちNEO iDSDのニュースレターが流れてきて、この手のデジタルものは普通なら読まないけれど、ああ借りているやつのことだなと何気なく目を通してみると、ストリーミング音源再生ができるなどと書いてある。
ストリーミングは、音楽を楽しむのではなく原稿執筆の際、音源の確認・資料用として、ノートパソコンに内蔵しているスピーカーから小さな音で聴くことはたまにある。
だがこれを自分のシステムで再生してみるなんて考えたことがなかった。もちろん世間的にはそれが主流になっているのは知っているが、レコードとそれをいかにいい音で鳴らすかしか考えていないためほかに精力を注ぐ気にならなかった。
しかし、目の前の箱を開ければ、自分のシステムでストリーミングが簡単にできるのだ。ちょっとやってみるかと取り出して、プリアンプにXLRケーブルで繋げてみた。
Bluetoothはスムーズに開通し、パソコンからSpotifyの音源を飛ばす。呆気ないくらい簡単に音が出た。いや普通そんなもんですよと笑われそうだが、Bluetoothは容易に認識されないとか音が途切れるとか、僕は昔のイメージが更新されていない。
音質は想像をはるかに超えていい。空中を飛んできた音源なんぞに期待するはずがなく、全然大したことないと思っていた。レコードといい勝負とまではいかないが(もし互角だったら、これまで費やしてきた時間はなんだったんだとなる)、これならレコードを買うかどうか迷っているグレーゾーンの作品は、無理して入手する必要がないだろう。
あれはどんな内容なんだろうと気になっていたタイトルをポンポン飛ばして聴いていると、欲しくなるものがぞろぞろ出てくる。
たとえば、ジョニ・ミッチェルをちゃんと通して聴いてみたくなって連続再生してみた。そのうちの『ドンファンのじゃじゃ馬娘』はその昔聴いたとき、パッとしない印象ではあったのだが「オフ・ナイト・バックストリート」の1曲で買い。ジャコ・パストリアスのベースの起伏が素晴らしい。これぞオーディオの力だ。現在これはジョニの曲で一番好き。
混沌としたフリージャズの『チャールズ・タイラー・アンサンブル 』は、大きな音でガツンと聴いたからこそ欲しくなった。ノートパソコンではその熱いスピリットがこっちに伝わらなかっただろう。
というようにNEO iDSDはストリーミングを優良な検索エンジンに仕立てあげた。その話を菅沼さんにすると、彼としてはそういうことを売りにするのではなくひとつの品格を持ったオーディオ機器として広めたいふうではあった。
そんな思惑に関係なく、頭が硬化しているレコ馬鹿は、日々レコードのために試聴を続ける。これは重要なレコード・ハンティング・ツールなのだ。
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東京都生まれ。音楽雑誌の編集者を経てフリーライターに。近著は『大判 音の見える部屋 私のオーディオ人生譚』(音楽之友社)。ほか『ヴィニジャン レコード・オーディオの私的な壺』『ジャズと喫茶とオーディオ』『オーディオそしてレコード ずるずるベッタリ、その物欲記』(同)、『僕が選んだ「いい音ジャズ」201枚』(DU BOOKS)『オーディオ風土記』(同)、監修作に『新宿ピットインの50年』(河出書房新社)などがある。 Twitter