第315回/進歩の陰で喪われたもの[炭山アキラ]
オーディオの世界にはこれまで幾度かの大発明、その後の業界を一変させる革命が起こってきた。もちろんトマス・エジソン(写真上)の「メリーさんの羊」がその嚆矢となるわけだが、レコード業界だけでもその後ベルリナーの円盤と横溝のレコード(いわゆるSP盤につながっていく原型)、電気吹き込み、米コロムビアのLPとRCAビクターのEP、ステレオレコード(このあたりは第249回で少しだけ解説しているので、ご興味おありの方はご参照を)、そして1982年のCDへと続く。
同じくアンプの世界でも、3極管の発明がその始まりとなり、5極管、MOS-FETやLAPTなどを含むトランジスター、そしてそれらを用いた高効率PWM増幅、ピュアデジタルのPDM増幅などが続く。その間にもさまざまな回路方式が開発されていったが、こちらは挙げ始めるとキリがない。
スピーカーの世界では、電気音響前史としてのサウンドボックス+ホーンというアコースティック蓄音機の世代があって、それはそれで大いなるオーディオ趣味の世界ではあるが、3極管登場以降に花開いた電気音響、いわゆる電蓄の世界では、ダイナミック型磁気回路とコーン型振動板の開発がハイファイの基礎となろう。何とこの両者は、もう開発されて100年が過ぎようとしているというのに、今なおハイファイオーディオの最前線というか、圧倒的なシェアでスピーカーの世界を支えているのだから恐れ入る。おかげでとかく「スピーカーの世界には進歩がない」と陰口を叩かれる要因ともなっているのだが、この方式が極めて高い完成度を持っているということの証左でもあろう。
他にもレコーダーや電波受信などのジャンルがあるが、本稿でそれは措くとしよう。かくのごとく、オーディオ業界が全体として進歩・発展を遂げてきているのは間違いのないところである。しかし、それに伴い失ってしまったものはないだろうかと、時折考えないでもない。
これまでのわが業界における進歩・発展は、専ら周波数特性とダイナミックレンジ、S/Nの向上というところへ重きが置かれてきた。これは断言してしまっても構わないだろう。周波数特性は1970年代にして既にパイオニアのリボントゥイーターが100kHzの大台を記録し、S/NはアナログLPがせいぜい60dBといわれていたところへCDが96dBという飛び抜けた数値を発表して世間を驚かせたものだ。
1982年の10月に華々しく登場したCD、コンパクトディスクに対する世間の、というより業界の評判は、今でも鮮明に覚えている。もう手放しの絶賛、完全にアナログへ取って代わる次世代のホープ扱いである。アンプもスピーカーもそれにつられて「for DIGITAL」のオンパレードだった。
翻って昨今、CDとアナログの立場は往時とすっかり逆転してしまっている。特にデジタルがハイレゾ時代を迎え、相対的にCDは少々可哀想な立場へ置かれており、その分アナログが却って脚光を浴びているようなイメージすらある。それでも、CDとアナログのデータ的な差異がかつてと変わったわけではない。
ならばどうしてこうなったのか。これはあくまで私の実感の伴う仮説であり、私的なものであることをお断りしておくが、アナログの音楽情報というものは、ノイズレベルよりも遥か下まで耳へ届いているのではないか、ということだ。ノイズには定位というものがなく、一方音楽信号は基本的に必ずどこかへ定位しているものだ。また、ノイズはもちろんメロディやハーモニー成分を持たないが、一聴すると無定位とも思えるホールトーンには濃厚なハーモニー成分が乗っている。それを耳は判別することができるのではないか、というのが私の仮説である。
もしこの仮説が"真"であるならば、少なくともアナログ機器のS/Nというカタログデータには大した意味がない、ということになる。実際に、S/N60dB程度のアナログ収録音源を16ビット(理論値96dB)化するよりも24ビット(同144dB)化した方が、明らかに音質がアップすることを考えても、この仮説がそう大きく外れているとは考えにくいのだ。
話は少し脱線するが、レコードとテープのS/Nについて、ちょっと面白い実例がわが家にある。小澤征爾指揮/トロント管弦楽団のメシアン/トゥーランガリラ交響曲である。初期の国内盤で盤質は決して良好といいかねる個体だが、それでも各面が終わる間際、無音溝へ届く寸前にテープが停まり、そこで明らかにノイズが減ることを聴き取ることができる。おそらくドルビー等のノイズリダクション技術が用いられていない世代のマスターなのであろうが、それであればレコードの方がS/Nはずっと高いのだ。
一方、現代のデジタルオーディオはどんどん進歩・発展を遂げ、PCMなら384kHz/32ビット、DSDなら11.2MHzがごく普通に入手・再生できるようになり、さらなる高品位フォーマットも既に現実化してきている。それらがCDなどの初期デジタルフォーマットよりも遥かに豊かな情報量が収められることに反論の余地はないが、それでも時折「96/24の方が384/32よりも低音の力感は優れていないか?」という疑問が噴出することがある。両者が完全に同一のマスタリングであるかどうかが実証できないと意味のない比較ではあるが、それでもこういった体験は結構な数に及ぶ。ただの気のせいとも断ずることはできない。
同じことは、PCMとDSDの間にも垣間見ることができた。PCMよりも原理的に高いS/Nが得られるDSD(初期は「マルチビット」と「1ビット」という呼称がなされた)が登場した最初の頃、DSDは確かにきれいな音だが音楽の力感、生の息吹が決定的に不足しているような印象を持ったものだ。もっとも、それからΔΣ変換方式が開発されるなどしてDSDは長足の進化を遂げ、往時のような音の頼りなさ、幽霊のように地へ足の着かない印象はほぼ払拭されたが。
このように、プレーヤー業界はS/Nの向上に長年取り組んできた。その結果、アナログ時代にあったどっしりと大地に根を張ったような安定感、歌手が目の前で歌うような生々しさからは、僅かずつ離れていってしまったのではないか。ことに優れたSP盤の実体感、盛大なノイズの中から朗々と聴こえてくる音楽の目覚ましさには、吃驚することも多い。もちろん最新デジタルの総合的な情報量は目を見張るものがあるから、これは単なる難癖の一種なのかもしれないが。
故・長岡鉄男氏は「LP時代になって初めてハイ・フィデリティの可能性を感じ、ステレオをAM放送の『立体音楽堂』で初めて聴いて、それはさらに大きくなった」とおっしゃっていたから、筆者などより大先輩の長岡氏の方が遥かに開明的なのであろう。
アンプへ話を移すと、最初に開発された3極管から、より高出力を得るために5極管を開発、NFB(負帰還)回路で大幅に歪率が改善され、さらにトランジスター化によって膨大な出力と高効率が得られるようになり、その傾向はPWMおよびPDM高効率増幅方式によってさらに歩が進められた。かくいう私もAB級とPWMのソリッドステート・アンプでリファレンスを構築している。
これはあくまで私個人の好みでしかないのだが、それにしてもこの"行き着いた先"のアンプ群で日頃音楽を楽しむ私が、同時に"初めの第一歩"というべきノンNFB3極管シングルアンプの音に魅了されてしまう。不思議な話だが、なぜか私はその両極端にフラフラと引き寄せられていってしまうのだ。
そこには、ある種の符合がある。わが偏愛してやまないバックロードホーン(BH)というスピーカー方式に、その両者は上手く適合してくれる。というより5極管、なかんずくNFBのかかった真空管アンプはBHの天敵といってよく、わが体験の中で上手く鳴らせた試しがない。全体に音が鈍く、重くなり、特に中低域から下はだらしなくブワンと膨満してしまうことがほとんどなのだ。3極管でも多量NFBのかかったアンプではダメだった。なぜだか分からないが、かなりはっきりした傾向があることに間違いはない。
ちなみに、ソリッドステートアンプでも、BHはできたらNFBの少ないアンプを望むようだ。そもそもBHはダンピングファクター(アンプの内部抵抗。スピーカー駆動部分の電気の流れやすさと考えてよい。数値が高いと抵抗は低くなる)が高いアンプの方が適しており、NFBをかけることによってアンプのダンピングファクターは高まるはずなのだが、結果としてBHはいうことを聞いてくれなくなり、こうなるともう訳が分からない。
私が現用しているアキュフェーズのアンプはノンNFBではないが、「カレントフィードバック」という独自技術を用いて回路全段にかかるNFBをゼロにしているのが特徴で、他社もローカル回路単位にNFBを活用することで全段へかかる影響を抑えているものが多い。やはりNFBは"必要悪"というか、回路設計上ないと困るが害も無視できない存在なのであろう。ファンダメンタルやソウルノートのように、ソリッドステートでもノンNFBにこだわる社があるのは、その害が開発エンジニアにとって許容できないものだからであろうと推測するものだ。
わが絶対リファレンスの鳥型BH「ハシビロコウ」は100dB/W/mを楽にクリアする超高能率の持ち主で、よほどヘンな使い方をしない限り10Wもあれば相当の大音量を浴びることができる。それくらいの出力なら、ちょっと頑張れば3極管シングルで十分稼ぐことは可能だし、逆に聴く側でほんのちょっとガマンすれば、大半の3極管シングルアンプで音楽を楽しむことができるということになる。
しかも、3極管に限らず大半の真空管アンプはなぜか"声"に突出した魅力を持ち、何とも色っぽい歌唱を聴かせてくれる。これはソリッドステートにない持ち味で、その魅力をわがリファレンスへもぜひ導入したいと、少々現実的に考えているところでもある。
なのになぜわざわざ90W+90W(8Ω)の大出力ソリッドステート・アンプを使っているのかといえば、ごくたまに10Wではまるで太刀打ちできない音源をかけることがあるからだ。第285回で紹介したムック「オーディオ超絶音源探検隊」の付録CDに採録された高崎素行さんの戦車砲録音などがその典型で、怪鳥「ハシビロコウ」にして何と200Wほどもブチ込んでやらないと、スリリングな再生音にならない。ただし、そうしてやると初体験の編集K君が「寿命が縮みましたよ!」と飛び上がって叫ぶようなことにもなるのだが。
定格90Wのアキュフェーズでなぜ200Wが入力できるかというと、同社アンプは極めて余裕をたっぷりと取っており、+3dB少々くらいの、しかも瞬間的なオーバーロードは何の問題もなく受け止めてくれるからである。ただし、もちろんのことだが連続音で200W入れたりしたら、壊れても文句はいえない。おそらくそれまでに保護回路が働くだろうが。
右へ左へと話が迷走してしまって恐縮だが、ここでもやはり「進歩していることは大いに認めるが、上手の手から零れ落ちた要素がないか」と問い直したくなるところがある。「3極管に近い音がする」といわれるソリッドステート素子のMOS-FETは私も大いに愛するところだが、それでも本当の3極管とはやはり別物と考えざるを得ない。
もうずいぶん長く書いてしまったが、やはりスピーカーについても話さねばなるまい。この世界で最も大きな発明は、疑問の余地なく「アコースティックサスペンション」(アコサス)であろう。1950年代にアメリカのアコースティック・リサーチ(AR)という社が開発した方式で、それまでは平面バッフル→後面開放→密閉と進化してきたゆえ、必然的に大きくならざるを得なかったキャビネットを、劇的に小型化することに成功した方式である。それまで最低でも200リットルといわれたキャビネットの内容積を、ARは同方式の発明により50リットル弱にまで削減し、しかも歪みの少ない朗々とした重低音を発揮させることに成功した。
以来、他のすべての社がその方式に追随し、それこそBHなどといった特殊な方式を除けば、例外なしの100%がアコサス由来の設計を採用することになった。もちろん現在に至るまで、そしてバスレフ型のスピーカーまで含めての100%である。アコサスがどれほど偉大な発明か、AR技術陣がいかに優秀で独創的だったかをこの事実が物語っている。
しかし、その偉大なる発明の裏にも零れ落ちていったものがある。スピーカーの能率だ。AR社は、というよりアコサス方式は、限られた内容積の空気によるバネまでスピーカーユニットのサスペンションと勘定して構築するのだが、小さなキャビで十分な低域を出すにはどうしても振動板の実効質量を重くせざるを得ず、そうすると物理的な必然として能率は下がってしまうのだ。
AR設立直前のエンジニア、エドガー・ヴィルチャーとヘンリー・クロスは、アメリカの著名なオーディオショーで当時世界最高と謳われた英ワーフェデールのスピーカーに対戦を挑み、そこで満場の喝采を浴びて名声を確立した。1950年代半ばのことだ。
ところが、ARのアコサスは85~86dBの能率だった。その頃はまだ真空管時代ではあったが、多極管の多パラプッシュプルによる大出力が可能になり、200リットルを超える当時のワーフェデール(資料がないが、おそらく95dBは超えていたろう)と音量をそろえることが可能だったのであろう。
仮に能率が10dB違っていたとすると、ARにはワーフェデールの10倍の出力が必要だった。アメリカには広い部屋が多いから昔から大出力アンプの需要があり、それで件の"対決"はARに軍配が挙がったものと推量する。小出力のアンプしかなかった時代や地域では、いくらARが低域を誇ろうともアンプが音を上げていたはずだからである。
ARはその後、1960年代半ば頃に発売したAR-3aで世界的な大ヒットを飛ばすが、これも能率は初期モデルと同じくらいだった。それが世界で受け入れられたのは、当時既にソリッドステート・アンプが珍しくなくなり、アンプ出力には事欠かなくなっていたせいでもあろう。
ちなみにAR-3aは特に日本で高い人気を誇り、何と1990年代になって日本向けに復刻され、その人気を受けてほぼ内容を引き継いだAR-303aが発売されたくらいだ。303aは私も聴いたことがあるが、実に分厚く力強く、やや脂っこい艶やかさなどは往年のJBL大型モニターをどことなく彷彿とさせる、ある意味典型的なアメリカン・サウンドだったと記憶する。
長々ARについて文字数を費やしてしまったが、それほどアコサスとは画期的で、オーディオ界全体を一変させてしまう大発明だった。しかし、物事には負の側面がつきもので、この発明によって失われたものもある。ほかならぬスピーカーの能率だ。
一般に、85dBのスピーカーへ100W与えるのと95dBに10W与えるのとでは、全く等しい動作になるとされる。しかし、個人的には「とんでもない!」というほかない。長岡鉄男氏もいろいろなところで書き残されているが、軽い振動板に比して重い振動板は音が立ち上がるまでに時間がかかり、スピード感や音の俊敏さが失われてしまう。ある程度は音のキャラクター作りで聴感上の補正が効くだろうが、絶対的には物理的な法則ゆえ、逃れることができないものである。
一方、振動板が軽く磁気回路の強力な、特にフルレンジのスピーカーユニットは、中域から上は小気味良いスピード感と立ち上がりの良さ、突き抜けるようなスピード感が味わえるが、普通に密閉やバスレフのキャビへ収めたのでは低音がまるっきり出ない。アコサス由来の設計では太刀打ちできない暴れん坊なのだ。
そんな強烈フルレンジの奏でるサウンドに魅了され、そこからどうにかこうにかバランス良く低域を引き出すため、私たちは苦労してBHというキャビネットを設計・製作している。このあたりは第279回で少し詳細に解説しているので、よろしかったらご参照いただきたい。
長年BHスピーカーと格闘しながら親しんできたが、これは古典と現代のオーディオをないまぜにした、ある種のハイブリッドなのだなと思うことが多くなった。BHはアコサス以前から存在する古典的な方式だが、同時に長岡鉄男以後のBHはソリッドステート前提のシステムでもある。ノンNFB3極管という例外はあるにせよ、現代BHの多くは真空管と決して相性が良くない。
その偉大なる例外として、ハセヒロの製品群を挙げておこう。同社の「重ねて作る」BHキット、なかんずくMMシリーズとMM-Tシリーズは比較的真空管アンプと相性が良く、ジャズなどにいい味を聴かせる。MM-STシリーズは一転ソリッドステート向けで、長岡流と似た味わいを持つのが面白い。
しかし、こんな奇妙奇天烈な装置でこの業界を生きているのだから、わたしもまた奇妙な人間なのであろうなと考える。"変態ソフト"なんてものを嬉々として皆さんに紹介したり、試聴ソフトに戦車砲の生録が入っていたり……。いやはや、つくづく浮世離れしたオーディオ生活者ではある。数は少ないと思うけれど同好の皆様、今後とも遊んでやって下さい。
(2022年1月13日更新) 第314回に戻る
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昭和39年、兵庫県神戸市生まれ。高校の頃からオーディオにハマり、とりわけ長岡鉄男氏のスピーカー工作と江川三郎氏のアナログ対策に深く傾倒する。そんな秋葉原をうろつくオーディオオタクがオーディオ雑誌へバイトとして潜り込み、いつの間にか編集者として長岡氏を担当、氏の没後「書いてくれる人がいなくなったから」あわててライターとなり、現在へ至る。小学校の頃からヘタクソながらいまだ続けているユーフォニアム吹きでもある。
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